独りで海外旅行をする意味

国内旅行ではなく海外旅行。

一人で行くか複数で行くか。

それぞれ違った楽しみ方、思い出作りができます。

 

しかし私は海外へ旅行・旅をするのに意味を持たせるなら一人で行くのが一番ではないかと考えます。

 

単に私が一人好きなのもありますが…。




海外一人旅の何が楽しいのか

私と世界

楽しさ3割 不安4割 寂しさ3割。

といったところでしょうか。(当事者比較)

 

楽しさよりも他の感情が勝るのが一人旅。

またこの割合も旅の状況によって変動します。

 

一人旅って楽しみたいというよりもどこか知らないところに行って何かから開放されたい時に突発的に行きたくなる傾向があります。

 

他人と計画を立てて予定を合わす必要がない分、気軽にふらりと行ってしまえる。

 

しかし異国に着いたはいいが言葉分からい、土地勘もない、知り合いもいない。

不安が一番勝ります。

 

不安になった後に海外にいるという事実から訳のわからないほどの興奮が体と脳を支配して、その不安は自分がすべき目的に変わるのです。

 

言葉がわからないなら調べたり聞いたり、ジェスチャーなどでコミュニケーション。

土地勘も徘徊しながらつけたり、通りがかりに尋ねたり、町の地図パネルがあるならそれを細かく見る。

知り合いがいないなら一期一会の出会いを楽しんでしまう。

 

不安なんて消えてしまいました。

 

たった一人で来てしまったからには自分で何とかしないといけないんです。

頼るものがないってこんなにも自分を活動的にしてくれることに気付かされます。

 

そんな自分の無限にも感じる行動力を未知の世界で試すのがとても楽しいです。

 

孤独である自由を味わえる

孤独な自由

孤独ってことは寂しいってことだよね…。

寂しいのやだ…。って感じですよね。

 

せっかく海外まで来て孤独なんで、そんな寂しい旅したくない。

 

でもこの一人旅のよさって”孤独”なんです。

 

普段日本にいるときの孤独って周りに知り合いや友達がいるのに私は一人だ、もしくは友達が少ない、いない、などで孤独を感じたり。

そのため悩みがあった時に相談できる人がおらず孤独。

独り暮らしなので寂しくて孤独。

 

いろいろあると思いますが大体が人との接点の薄さを嘆いて孤独になっています。

 

一人身で海外へ行って感じる孤独ってそれとは全く別なものなんです。

 

何のつながりもない孤独による解放感。

 

むしろ私は海外に行ったら感じてしまうこの孤独で寂しくも楽しい気持ちが恋しいのです。

 

そう孤独って楽しいこともあるのです。

 

海外にただ旅・旅行などの自発的な目的で訪れた場合の孤独についてですが、

何度も書いちゃいますがまず周りの言葉がわかりません。

 

この時点で自分の事を理解してくれる人も逆に理解できる人もいないわけです。

 

言葉がわからないことで一人ぼっちになった気持ちになるんですが、それがとてもストレスフリーなのです。

 

言葉がわからない=ただの音でしかない。

 

つまり自分にとって聞きたくない情報など、負の面の情報が入ってこないんです。

 

言葉がただ耳に入ってきて理解できてしまうって結構頭を使っているんです。

それが言葉が理解できないことで言語理解能力の活動は休止します。

 

話声という音が聞こえるだけで、その意味を理解できないからこそ自分の世界や見ている景色、食べている食べ物の味、風、空気、太陽の光、その全部に自然と集中できるのです。

 

そして日本に近いアジア圏以外なら人種が全く違うので言葉だけでなく見た目からの差別化を目の当たりにします。

視覚からの情報で自分は一人の生き物のように感じる。

 

変な言い方してしまいましたが、外国人ってちょっと怖いイメージを持っているのが日本人だと思うんです。

言葉は分からないのに、日本人以外のほとんどの国の人って堂々としていて表現力が派手なんですよね。

 

なので日本人みたいなタイプの人見知り人種には彼らのようなタイプに馴染めるまで少し時間がいるんです。

 

そんな勝手に外国人に対して距離を持っている日本人。

緊張してるんですよね。

 

そういった人種の違いと差を目の当たりにすることで、自分は一人なんだって無意識に意識が強くなっていきます。

 

本来孤独とは寂しさを楽しむものではないか。

静かで自分一人ぼっちで、そして平和で。

 

海外の知らない土地に一人で行くといつもこの孤独という感情と状況を楽しめる。

 

人間関係が生み出す煩わしく辛い寂しい孤独ではなく、何もない、真っ新なことを楽しむため、自由を楽しむ孤独なんです。


海外へ行くと中毒になる

思い出が中毒

これは完全に私個人の症状です。

 

海外へ行くとなんだかわからないけどパワーをもらえます。

 

自分が大きくなったような錯覚さえ感じ、強くなったように思います。

日本に戻ってくるとしばらくは夢見心地ですが、やがて夢から覚めるように現実を受け入れないといけないことに気付きます。

 

そうなるとまた海外へ行ってパワーを感じ孤独に浸り、一人の人間として自分を見たいと思ってしまいます。

海外に行ってしまったら最後、私はその中毒のような感覚から目覚めれなくなりました。

 

もっといろんなところへ行きたい、知りたい、感じたい。

 

まさに中毒。

 

知りすぎたというとかっこいいですが、日本から出たことがない人間と比べると格段におもしろい人間になります。

 

海外に行って一人で旅すること自体がステータスよいうような海外かぶれてしまっているただただ痛い人も中には多く見受けられますが。

 

一人旅することでの心地よい孤独、そこで自分と対面できる楽しみ方を得てしまった自分からすると、変な話ではありますが海外へ行かなければよかったと思うこともあります。

 

知らなければ求めることもなかった。

知ってしまったらこんな世界があるんだと求めてしまい、ほかの事がしたくなくなってしまう。

 

海外一人旅をするってことは、よく言われる自分探しの旅のようです。

 

頼れるものが何もない極限状態にも似たような環境だからこそ自分自身が知らなかった面を知ることができる。

 

それをまた味わいたいんです。

 

死や犯罪に合うことを意識する

身の危険はつきもの

私が行ってきた国は少なくとも平和ではありますが安全とは言い切れない国ばかり。

 

スリ、強盗、テロ、無差別な通り魔。

 

そんな環境が突然起こるかもしれない都市にいました。

 

別に変わった場所に行ったわけでもなく、海外はどこへ行っても身の危険を感じるべき場所なのです。

 

実はこれって日本でもそうだと思います。

震災や交通事故など自分が気を付けていても仕方なく起こることで命を落とす危険って日本にいても当たり前についてきます。

 

でも日常でそんなことをいつも考え緊張しながら生活している人って少ないと思うんです。

 

これが海外へ行くと、危険度は上がるかもしれないが生き死にの事、つまり自分の命がどういう形でいつ断つのかは誰にもわからないのに日本じゃないってだけで緊張して身構えてしまいます。

 

実際私がイギリス在住の時に都心で銃撃テロがありました。

幸いなことに死者はいなかったそうです。

 

他にもトルコのカッパドキアの観光地を歩いていたら、現地の人に

“ほんの2か月ほど前に2人の日本人が気の狂ったトルコ人に刺殺された場所だから気をつけな”

と声をかけられたり。

 

気球にも乗ったのですが、その何か月か後に気球同士が衝突して墜落する事故が起こりました。

 

時期や場所がマッチングしてしまっていたら自分だったかもしれない事なんていくらでもありました。

 

そんな大きな事件じゃなくても、バスや電車の中で一人で乗車し居眠ってしまえば着ぐるみすべて奪われる、クラブやパブに行っても同じこと。

街を歩けば財布をすられるかも…。

 

そんな日常であるのが海外なんです。

 

旅行初心者の時は首から下げるパスポート入れをお腹の部分で守っていましたが、そんなことをしている外国人なんていませんでした。

被害にあう、主にすられる確率は日本と比べると格段にあがるが、実際に合うとは別の話。

 

しかし用心に越したことはない。

 

こんな外の世界。

ですが海外からしたらこの程度の治安の悪さは日常の一部に過ぎない。

 

彼らは海外旅行をしても、日本人のように被害にあうかもしれないなどといった緊張感を改めて持つことはないのです。

その緊張し身構え、被害にあうかもしれないという意識は常にあるのが外国人。

 

そんな日常の差が大きので日本人が平和ボケしているといわれてしまうのは仕方がないのです。

 

油断したら掏られているなんてことは多々あるので、一人だろうが団体だろうが警戒はあまり解かないようにしましょう。

 

なので我々からすると海外へ行くことはとても緊張する日常が始まるということです。

 

これだけでも非日常な感覚になります。

 

現代の日本人は自殺したいとか死にたい消えたいなどそんなことを言って考えて抽象的な死を意識しています。

 

海外に行くともっと具体的な身の危険を意識し、死ぬかもしれないという感覚を頭の隅っこで持ちつつ生きることを意識できるので、そのことの方がよっぽど価値ある死の意識の仕方だと思います。



一人旅をしても強くはならないし何かが変わるわけでもない

強くはならない

海外行ったらなにか自分の中での性格、考え方など変わるのかというと別にそうでもない。

只得るものは多く、視野が広がるので考え方のジャンルは増えると思う。

 

海外旅行に一人で何度か行ってはいるが、私は未だに人見知りのままだし、グループ行動苦手だし、協調性はない。

ポジティブでもなければあがり症も治っていない。

 

性格面にいたってはこんなに行動したのにもかかわらずそこまで大きな変化ってないんです。

 

私は私のまま。

自分は自分のままなのです。

 

しかし海外に行ったことがきっかけで考え方に関しての幅や、方向性、また受け入れられない思考と受け入れられる思考などがしっかり形作られたように感じます。

 

大人になったという表現よりも知らないものを知ったことで、今までなかった世界の幅が増え、そのことについての考え方が自分の中で生まれる。

 

なので元々あったものが変わることってそうそうないように思います。

 

海外一人旅をして得るもの

旅の宝物

私の書く一人旅の意味について、なんだかあまりいいことを書いていないようで、この記事を読むことで海外に行くことがより嫌になる人が続出しそうですが、この緊張して孤独で大変なのがこの上なく楽しく刺激的なのです。

 

そしてそれらは全て意味のあることだと思っています。

 

ただ、そんな感覚的なものではなく私は海外へ行って一番充実を得るものは人との出会いだと思います。

 

一人で行くと現地の人や同じような旅行者と触れ合うチャンスが団体で行くよりも格段に上がります。

 

道を尋ねるにもホテルをチェックアウトするにも、何か買い物するにも、自分で全部しなければなりません。

もし2人以上で行った場合は身近に相談できる相方がいるのでそれでその中だけで終わってしまったり、一緒に現地の人に聞きに行こうとするでしょう。

 

そうなると海外旅行での新しい出会の新鮮さに欠けたり、接点を作る機会が減ることもあることでしょう。

 

一人だと、自分で行動を示さなければ誰も助けてはくれないし気づいてもくれません。

 

自分でアクションすることで現地の人と仲良くなったり、思い出ができるのが一人旅の醍醐味だとおもいます。

 

全然言葉がわからなくても地図で行きたい場所を示せばそれなりに教えてくれるし結構分かるものなんです。

 

結構海外の人って優しいのです。

少なくとも私が行ってきた国の人たちは自分たちの国が大好きな人が多いのか、そんな自分たちが好きな生まれた国に来てくれた観光客には親切にしてくれているように思います。

 

外国で出会った外国人のほとんどは言葉がわからないことをあまり恐れていないように見えました。

 

中には、始めて会ったのにお茶をおごってくれたりしてくれたり、また同じ一人旅同士で何となく休憩していた場所がかぶっていて、ほんの少しだけ同じ時間を共有した時の話で、向こうがいい旅をしてねとチョコレートを分けてくれたりもしました。

 

そんな人との出会いがより海外に行くことを好きにさせてくれるんです。

 

綺麗な景色が見たいから、おいしいご飯を食べたいから、世界遺産に行ってみたいから。

 

海外に行く目的はいろいろありますが、まずはその国でしてみたいことを実現させるために行き、行ってみたら人とのふれあいの方が楽しかったなんてことがほとんどです。

 

私にとって一人旅はその国でどんな出会いがあるのかというワクワク感がもしかしたら一番大きな原動力になっているのかもしれません。

 

訪れた国が好きになる理由はそこの国で会った人たちが好きだから。

 

出会いはとても大切な旅の宝です。