年上を尊敬しない年下と年下を見下す年上

年上の人だけど尊敬できない、または年下からなめた態度をとられたことって誰しもあると思います。

日本の文化を見ると目上の人に対しては敬わなければならないと、MUSTな考えを持っています。

 

昭和の時代を生きていた人は特にこの考えについてはとても強く思っている節がありますが現代を生きるどの世代の人も目上の人を敬うという感覚が薄れてきていると感じます。

 

その理由として年上だからといって何でもできるわけではないことに気付いたとき、また自分より能力が劣っているのに偉そうだったり、年齢の差だけでしかみていない。

 

新入社員に対して上司や先輩は仕事を教える立場であるが、まずはその仕事の仕方を否定して説教。

“なんでこんなことしたんだよ。違うだろう!”

なんて言われたら、指導もされていない、もしくはまだ覚えきれていない人間にしてしまっては逆効果です。

 

生意気な年下の荒廃がいたらとにかく舐められないように厳しい態度を見せたり、

“自分は年上だからあなたより能力も経験もあるんだ”

と意地を張ったような面を見せて脅かすように年下と接する人も見てきました。

 

経験値や知識があるのが事実だったとしてもこれらって心理的には何の意味もない気がします。

 

こんな脅かすような態度で尊敬させるように仕向けたり、自分の立ち位置・能力が年下より上だぞといった乱暴な証明の仕方をして、もしもその相手(年下)より能力が劣ってしまってはそこでなし崩しになってしまう。

そうでなくても押し付けるように尊敬しろと言われも無理な話である。

 

生きている年歴が長いことをあえて言ってしまうことも、逆にそれだけ生きてきたのにこんな考えなんだ、これくらいの仕事量しかできないんだとハンデにまでなってしまう。

 

どうしてこんな上下関係になってしまったのかについて(まぁもう書いてはいますが)を分析し、目上の人を敬う事ってどういうことなのか、また我々に足りないものって何なのかについて書いていきたいと思います。




幼いころの大人のイメージと大人になってからの大人のイメージのギャップがすごい

小学校の時学校の先生の発言や考えは世界の全てのように何もかも正しい者だと思っていた。

レベル的に神様のような存在。

尊敬という言葉を知らなかった当時、ただただ先生はすごい人と思っていた。

 

中学校の先生はスポーツもできてギターも弾けるてイラストも描ける多彩な才能を持っていた。

授業の教え方もうまくて生徒から好かれていた。

先生というより友達に近い人だった。

 

高校の先生は生徒によって態度を変え個人を贔屓する差別的な先生だったため大嫌いだった。

大人なのにこういう人なんだと先生を軽蔑していた。

 

大学に入って『如何(いかが)』という漢字を読めなかった先生がいた。

この先生は漢字も読めない=勉強ができないのに生徒に授業を教えれるのかなとぼんやり考えてしまい先生の授業が何だったのかその記憶の所為で思い出せない。

 

大人になって知識が増えて考える力が付き、比べる対象も増えていき、年上の人って大したことないんだなと思うようになった。

自分より経験値が上だと思っていたけど別にそうでもない人もいるんだなと小ばかにするわけではなくただ頭の片隅に思うようになった。

 

大人は偉そうなことを言って威張っていて、子供の頃はそれが大きくてすごい事なんだと思っていたが、実際にそれができる人って極わずかでできない人も五万といる。

発言の意味を一般的感覚と比べてジャッジできるようになってからはそれらは自己中な内容だったり、的外れなことを言っている大人もいる。

 

それに気づいてしまったとき子供心に思っていた尊敬心が消えてしまった。

 

しかし実際大人になってみると年下から態度で馬鹿にされたり、舐められることもある。

逆に私の世代で今より若いときに年上の大人をなめていた友人もいた。

自分は態度で馬鹿にはしなかったが正直目上に対して尊敬はしていなかった。

 

ただこれは書いていて分かるように対象が変わると逆の立場にもなる。



年上は年下を無意識に見下している

恐らくだけど大人と呼ばれる年代になったほとんどの人は1度くらいは年下の人間を見下すような評価をしたことがあるはずです。

 

君にはまだ無理だよ。

そんなこともできないのか、知らないのか。

たぶんできないだろうね。

 

またこれも実はそうなのではないという発言

“若いのにすごいね。”

 

使うシチュエーションで意味は変わっては来るが、若いから普通はできないと思っていることを仕出かされたときに大体の人は使う。

尊敬の意味で使うが、ある意味下に見ていたから出てきた言葉のようにも思う。

 

この捉え方はややネガティブではあるが、ポジティブな捉え方だと多くの経験を得れるほど生きてはいないのに立派だともとれるが紙一重な表現のように感じます。

 

年齢・年代という生きてきた年数が違えば経験値が違うのは普通の事で、自分より生きてきた年数が少なければそう評価してしまうのは当たり前ではある。

 

しかし、実際に小学生なのに半世紀生きてきた人間よりもとある分野で能力が優れている人もいるし、逆に半世紀以上生きているのに世の中についての知識に無知な人もいる。

 

私たちはこれら個々の持つ能力や知識などには彼らに関わるまでその情報を知ることはできない。

だから見た目・この場合年齢で評価する。

 

自分より年が下ならば自分より劣っている者が多いはず。

自分より年上ならば自分よりできることが多いはず。

 

見下すという表現は挑戦的すぎる書き方ではあるが、今の私にはボキャブラリーが乏しいためこの表現にさせていただきました。

 

年上は相手が自分より若いと分かると能力的や知識的では劣っているという評価で先入観を抱き実際にそういった態度で年下と接する人も多いわけです。



年上を尊敬しない若者

なめた態度をとる、まるで目上の方として見ていない若者って昔に比べて多くなったと聞かされます。

私は中間世代であるため昭和の時代については分からないが、親を始めよく昭和世代の方からそのような話を聞きます。

 

実際私も5歳以上年下の子たちにかなりなめられた態度を取られる経験もあったため、こういう事なのかなとも感じます。

ちょっと年齢の幅が私の場合近いですが20、30歳と年が離れているのに生意気な態度をとる年下の人がいるのは事実であり、どの世代にも存在はする。

若者に限らずですが年上の立場から言うと若者という書き方をさせていただきます。

 

これってただ10代~20代前半の生意気盛りだから世間を知らず調子に乗っている若者を除いて、もっと幅広い年代を対象に見てみようと思う。

言って30代くらいまでかな。

あまり限定しすぎるとダメな気もするので読み手のイメージする年代にお任せします。

 

この世間知らずでのお調子乗り意外の角度から見てみると私が子供時代に感じていた大人ってすごいなっていう感情が年齢が経つにつれそうでもなかったという事実に気付いたときに起こっていたり、またはこちら(年下)の状況を理解せずに自分は正しいんだととにかく怒ってくる大人たちに囲まれてきたならば目上の人に尊敬の気持ちを取り戻すのは難しい気がする。

 

特に思うのが年上というだけで年下だから分からないだろうと見下した態度って、年下側は敏感に感じ取ります。

 

それが不快であるしそういう考えを持った大人を尊敬できないとしてなめた態度をとる人もいるかもしれません。

 

年下から見て大人なのに仕事ができないけど威張っている人って

年を重ねている割にできないことが多いんだ、知らないことが多いんだ、差別的な態度を人によってするんだ、相応して子供っぽいな。

 

なのに年上であるから敬られる立場であると年下に押し付けている態度をとる人に対しては、そんなことはできないわけです。

 

古き日本人の考え方はただ年上というだけでほぼ無条件といっていいほど”尊敬しなければならない”文化を持っています。

 

昔の日本の考えって少し特殊でありまた戦争を経験した人がまだまだたくさんいた時代。

日本を守るために戦った実績を持つ相手にはもちろん敬う心が生まれる。

現代と比べるとその尊敬されるに値する実績の差が違いすぎるのでこの時代の考えを持ち込んで比べるとかなり極端になるのですが

 

中国や韓国人と触れ合う機会があったのですが、彼らは自分より目上の人から理不尽なことをされても耐えて遣わし、態度にも嫌な顔を出さない人を見てきました。

これは特に韓国人に対してですが。

 

昔の日本もこうだった。

子供は親に対してえらそうな口はきかなかった、というよりそういう概念がなかった。

もし口答えや偉そうな態度をしてしまった場合罰が当たると言われていた。

 

昔から続く文化がここ数年で大きく変わってきています。

 

昭和の考えが通用しない

これは個人的な考えであり、偏見じみた考え方である。

若者が尊敬できない大人に対しての絞った見解です。

 

押しつけがましい年上主張をする人って昭和の時代を生きてきたやや古い考えの人が多いと思う。

 

昭和時代を生きてきた人で自分が敬われるのは当然だという態度である年上の人は自分が幼少だった時は大人を敬ってきたんだから今度は敬われる立場になったんだと勘違いしているんじゃないかなと。

 

目上の方を大切にするのはもちろんだが、そんな偉そうな考えを持たれていてそれが常識だからと言われても今の子たちにとっては何言ってるんだろうと思われてしまう。

 

昭和時代を生きてきた大人の前の世代は戦争時代を生きていた人たちにもあたる。

尊敬されるまたは敬われるだけの苦しい時代を乗り越えて今を作ってきた人たちだったけど、そうじゃないのに自分たちが子供の時は大人に対してそうだったからというだけでその部分だけ引き継ぐのは少し考えが軽い気がする。

 

もちろん違う人も多くいるし尊敬できる人達も多いが、若者にとって尊敬できない大人の特徴ってこうなんじゃないかなという勝手な考えです。



年上を敬う文化はどの国も同じ

年上を尊敬し敬う文化はアジア圏だけではなくもちろんどの国でも同じことです。

 

ただ日本・韓国・中国などを含めたアジア圏はヨーロッパやアメリカと比べるとやや宗教観も入ってきているためその敬い方が少し違って見えてくるので文化が大きく違う国の人たちと比べると違和感を感じることもあると思います。

 

年上を敬い尊敬する考えはどの国のどの人種にも一定レベル備わっているごく当たり前ないえる世界レベルで一般的感覚なのです。

 

目上を敬うということ

敬うってそもそもどういうことなのか。

この記事での題では目上の人・年上のに人に対して敬うことに絞ります。

 

敬うことをするという事は、その人を尊敬し感謝でき、自分は謙虚でいること。

 

特に感謝する気持ちはとても大事であり、目上の方に感謝することで自然と謙虚でいられると思う。

感謝する気持ちが薄れてしまっている現代の上下関係の在り方をみるとギスギスした荒れた関係性にも感じます。

 

目上を敬い、また目下の者が上の者を敬える関係であることは温かい人間関係を築くことでもあるのではないでしょうか。



なぜ敬えなくなったのか 敬う気持ちに必要なのは対等である態度

個人的に思うのがこの関係性になってしまった一つはそれぞれの年代に思いやりや理解が無くなってしまったからではないかと思う。

 

有名な話かもしれないが、日本の教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さんが教師として働いていた時のエピソードが今回の話題について核心を得ているように思う。

尾木さんが小学校で1つのクラスの担任をしていた時の話で、クラスでいじめがあったらしい。

男の子がロッカーに閉じ込められているところを発見し、閉じ込めた方の男の子(いじめっ子)と話し合う事にした。

 

多くの教員がこういう現場に出くわしたとき、いじめっ子を怒鳴りとにかくこちら(先生)側の主張で言いくるめるように説教するのがほとんどでしょう。

悪いことを目撃しているのでそんな子供の話を聞く必要はなく、そのいじめた行為を教育しなけらばならないという意思からとにかく感情的に怒る。

 

しかし尾木さんは怒ることはせず、ただ何故こんなことをしたのかをいじめっ子に冷静な態度で質問して彼が考えていることを聞き出し、一緒に考えたそうです。

 

この時尾木さんが話されたのが、

『大人と子供として接するのではなく1人の人間としてその男の子と同じ目線に立って話すことはとても重要。』

 

大人と子供として接すると子供はどうせ自分自分の話を聞かない、対等じゃないから、大人の言う意見を聞けばいいんだろうとややいじけた捉え方で考える。

尾木さんはこのことを見抜いていたようです。

 

子供心でも大人の人間が自分と対等に話そうとしている姿勢は分かります。

 

その態度から相手(目上の方)を尊敬できる気持ちが生まれるのではないかと感じます。

 

この関係性ってとても大切だと思います。

 

その人が持つ能力や立ち位置的な権利、どうにもならない年歴つまり年上だからというだけで従わなければならない価値観の押し付けでできた関係性では根っこの部分では従おうなんて思っちゃいない。

 

“一人間として相手を見て対話する態度”

を年下・子供相手でもとれる大人はその相手の心に響くし、どの年代に対しても上の者が下の者に対して行った場合この人は人間ができている尊敬できるという感情が芽生えてくると思うんです。

 

自分より経験値があるから、知識があるから、権限があるからという生きてきた年数で補えない相手に対して反骨精神が生まれる人。

少し長く生きてきたからって全部正しいわけではないのに、それでも年上を敬うことに疑問を持つ人もいると思う。

 

頭ごなしに自分が上だから偉いんだと年下の人に示したとしても中身がなければただただ上下関係を共有させようとしている押し付けでしかならない。

 

これらがこの目上の人を敬えない若者(年下側)の心理の一理ではないかと思います。

 

年齢的に大人になってくると時代の流れもあって自分より10・20歳年上の人よりも優れた能力や資格を持っている場合もあります。

 

その場合、相手は自分より年上だけど自分より劣っているんだよな、と思うこともあるが態度が”大人”であるできた人間だった場合、大切なのは能力じゃなく人間性なんだと気づかされます。

 

この人についていこうって思わせられたならそれはもう目上の方として敬われていることになる。

 

年上が年下に対して”年下”として接するのではなく一人の人間として接する大人がいたならば、きっとその人間性から相手を尊敬できる関係になり素直に年上の人を敬えるんじゃないかと思います。

 

年下側は相手が年上というだけで多少は緊張して接します。

それをあえて対等に接されたらその器の大きさを自身と比較し、年上なのに年下の自分を理解しようと合わせてくれるんじゃないか、などの人間性に年上である意味を実感します。

 

この上下関係ってお互いが押し付け合うものではなくお互いが思いやることで生まれる関係性。

 

年上の人間の態度が”自分はお前より年上なんだ”という態度ではなく一人の人間として冷静に年下の者と接することができたならば自然と年下の人間も尊敬する態度に変わってくるのではないでしょうか。