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日本人は個性がないせいでド変態になった

文化
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日本人ってつまらないというネタで以前記事を書いたのですが、そのつまらなさについてもっと突き詰めてみた。

無個性人間都市となっている日本。

 

海外で外国人と接している方が楽しいし楽だし、煩わしくなかった。

日本にいるととにかく毎日疲れていたし、それなのにつまらなくて仕方がなかった。

 

人と話しても中身が無い話題に付き合わされる。

まるで個性を感じないありきたりな話題をみんな話すしありきたりな発想の行動もする。

 

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海外でいろんな国籍の外国人と仲良くなりコミュニケーションをとり、いろんな国に旅行に行ったりと身をもって日本以外の文化を体験したことで、日本人以外の人種と文化とを比較してみてより深く日本人とは…と考えてみました。

 

私がいろんな国の人と接してやっぱりぬぐい切れなかったのが、日本人は特殊であるということ。

 

人種の性格やタイプのカテゴライズを全世界規模でやったとして、アメリカ人はこうだ、フランス人はこうだという分類にされると思う。

 

しかし大きくその性格・タイプのカテゴライズを区分化したとして、『日本』と『その他の国』と分けていいほど日本人は他の国からすると理解できないものを持っている。

 

今回は個性という観点から日本人ってなんでこんなに個性がないといわれているのか。

それゆえに変人になってるんじゃないかという見方、そして海外を知ったから思う考え方で日本人について独自分析してみた記事を書いていきたいと思います。




日本人は外の世界を知らなさすぎる

個性は宝

私は日本の教育の在り方により日本人が無個性になっているという見解は尤もだと思う。

日本の教育方針は戦争時代のそれのまま現代になってもほとんど変わることなく引き継がれている。

 

昔から日本の教育は集団行動を厳守し、みな同じ行動、物作り、考え方になるような教育。

それにより皆平均点をとれるような授業のカリキュラムではある協調性が生まれるが、人としてのアイデンティティを育てたり発揮させたりするカリキュラムではない。

 

確かに幼少期の教育というか矯正でその人の考え方などが決ってしまうのも大きいが、日本人に足りないのは外の世界を知ることだと思う。

日本人の考え方が固すぎるためと、外の世界を本当の意味で知らないため比較するものがわからず、変えなければならないことにも気づかず、一部ではわかっていてもその変え方も分からないことも大きいように思う。

 

知らないものが未だ知らないまま。

根っこに何かを植え付けない限り新しいものなど生まれない。

 

知らないから知らないで終わってしまっているのです。

鎖国的な文化が抜けない。

 

しかしその軍隊のような協調性を重んじる教育の仕方で皆同じ行動をとることが正しいと教え込ませていても、何か気になる魅力的なものに出会ってしまうと、人間はその欲には勝てない。

 

その面白い世界を発見しても日本の島国文化であるためか、自分が興味を持てた事柄について発揮したりアピールしたりすることはできず、いまだに隔離された環境の中に閉じ込めたままのように思います。

 

日本人がアピールや自己表現がへたくそであるのもこういった観点から見るとかわいそうにも感じます。



他人に興味がないのに人の目を気にする日本人

見た目しか興味がない

海外にいたときは、自分がめちゃくちゃに日焼けしようが、太ろうが、逆にがりがりにやつれてしまおうが、メイクもせずにすっぴんでいようが、Tシャツに半パンでいようが何も気にならなかった。

というか生きていること自体が楽しかった。

 

海外で楽しんでいた自分が写っている写真を見て、日本にもしこの格好や状態でいたら恥ずかしいと思えるような見た目だったが、顔は輝いていた。

 

それくらい人目を気にすることがなかった。

もちろん裸でいるとか、モラルが問われないレベルにはいたけれど。

 

別に私だからというわけではなく、多くの日本人が共通して言っていることが海外に行けばほとんどの人が見た目を気にしなくなる。

きっと煩わしいと思っていたのです。

 

日本に帰ればダイエットをしなくては、BIMがどうとか、理想体重より何キロ重い、化粧の流行に乗らなくては、あの人と同じ身長なのに自分の顔が大きい、足が太いなどなど…。

また年齢に対してもほんとに気にしている日本人は多い。

 

そんな細かいところやどうにもならないことを気にして他人と自分を比較し、世間が求める美しさに固着している。

美しくなるのが悪いという話ではなく、あまりにも気にし過ぎであると思いました。

 

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自分らしく美しくかっこよくなろうとするのではなく、周りの平均を見て自分の個性を嫌い世間の美しさが正しいという方向性になっている。

 

特に女性の話ではあるが、日本人が勝手に決めた女性に対する美しさの平均にみんななろうと必死に他人と比較しモデルや女優に近づこうとはするが、かといって他人の内面にはほとんど興味が無いように見える。

うわべだけの付き合いや、探り合い、比較をして自分は相手と比べてどういう人間なのかというところに重きを置いている。

 

日本人が勝手に決めた美しい人間になるために私たちは楽しむこともそしてアイデンティティを捨てている。



日本人は変態だ オタク文化に発展したのは無個性だから

 

日本人は変わり者で変態だなんて海外で言われているのは有名な話。

 

変態とは、痴漢してるとか変質者とかの犯罪的な意味合いではなく変わり者という意味での変態。

 

個性はないが、日本の文化の中でもっとも代表的な漫画やアニメなどのオタク文化の世界観を見ると無個性な人間がここまで作れるものでしょうかと疑問が湧きます。

そしてそれらは多くの日本人が大好きである。

 

オタクという文化が生まれるほど日本人は2次元の世界にのめり込み、アニメや漫画の世界を崇拝できるド変態なのです。

 

漫画やアニメのキャラクターや世界観は個性的で、想像を裏切るアイディア。

海外が注目し、また外国人たちも日本のアニメにのめり込んでしまうほど日本のアニメは面白いのです。

 

嬉しいことに留学中に出会ったチリ人やブラジル人、トルコ、オランダ、スロバキアと日本のアニメが大好きだと言ってくれる友人はたくさんいました。

 

そんな国境も文化も言葉も超えて日本の文化を好きになってくれるものを作っているのは日本人。

そしてここまで海外に面白いことを広めるにはまず日本でも人気にならなくてはならない。

これを考えると、日本人みんな変わった考え方や、個性的なキャラクターに憧れているのです。

 

外国人のように個性を尊重したい、アピールしたいって本質的には思っているんじゃないかな。

 

そのやり方がわからないし、おかしい奴とみられたくないので

自分ではない2次元のものに置き換えて表現することで、自分自身に対しては世間の目は気にすることなく異世界の中に託す方法を好んでいるのではないかという見解。

 

日本人は心の中では個性を出したくて仕方がない、もっと自分をアピールしたいのにその方法がわからないし自分自身でも気づかない。

だからこういう代理を立てて発散したり妄想したりしている。

 

[nlink url=”https://abstract-ous.net/analyze/strange-jap”]



日本人は2次元に生きすぎている

キャラクターはアニメや漫画に限らず、ご当地ゆるキャラやお店のイメージキャラクターなど、日本は本当にキャラクターにあふれている。

海外ではキャラクターなんてものはほとんど見なかった。

 

羊料理のレストランには農業で撮影された羊の写真がそのまま使われている。

何とも生々しいが、日本ではかわいらしいキャラクターに変わり服まで着ていてそのキャラクターの性格さえも想像できてしまうほどのクオリティ。

 

何をするにもアニメキャラクターのようなものを作り代理を立ててそれをビジネスにもつなげている。

オタクはオタクで2次元のアニメキャラクターを真剣に想い、現実逃避の先の世界へ行ってしまう。

 

動物や物にアイディアや想像を注ぎキャラクターに変えてしまう想像力を持っている日本人が無個性とは言い切れないが日本人はあまりにも空想な世界に生きすぎているとも取れます

 

変態なのは視野が狭いから

右向け右と言われれば皆右を向く。

1つの事に集中しがちで、その他の事は見えちゃいない。

 

それが結果的にオタク文化を生んでしまった。

 

日本人は特に海外から変態・変わり者と言われているが、教育の仕方による性格矯正、考え方の統一で個性を無くしている。

日本の教育の仕方とそれにより形成された人種と文化をみると日本人は変態に繋がる素質をたくさん持っている。

 

同じことをしなければならないという個性がない人種のため1つ魅力的なものを見つけるとそれにのめり込んでしまう。

それしか方法がわからないからである。

 

その熱中度はエスカレートし、それがオタクと名前がついてしまうほどにまでなっているが、一歩間違えれば犯罪臭が匂ってくるものがほとんどのように感じる。

 

ただこの文化を柔軟に吸収し、SNSなどを使って個性を見つけ出し発信している若者が増えている。

中には独特な世界観を優れた表現力で発信している人もいる。

 

吹っ切れて周りを気にせず自分を表現し、評価を気にしない人間にとってはこの文化があったからこそ一風変わった個性を作り出せた面もあるように思うので、やはり日本ってとても特殊で複雑に感じる。



日本人に足りないのはこれでもいいんだという解放感

これでいいのだ

白か黒か1か100か、AがダメならZだ

というだめだった結果から真逆の思考になることが日本人にとって良くない働きになっていると思う。

 

もう少し、こんなもんで良いかなっていう気の抜いた行動や考え方を受け入れられればこんな極端で特殊な人種にはならなかっただろう。

しかし海外から見ても日本人自身から見てもこの無個性で極端だと思う日本人だからこそ、おかしなものが生まれているのも事実。

 

もし個性がない奴らと思われないために日本人が働きかけることは、中途半端でもいい、完成しなくてもいい、これから試すことが成功するか断言できないがそれでもそのあやふやな段階でもいいからやってみようかという良い意味での適当さ。

わからないけどちょっとやってみるかという緩さだと思う。

 

その理由として、ゆとり教育なんで良い例です。

 

ゆとり世代以前の人間は学業での勉強が詰め込み過ぎていて、もう少し減らせばいいのではという思いから次の世代(ゆとり)を改善したかったようだが、結果的にがっつりと勉強の質を落とすことになってしまった。

ほんの少しだけ緩くしてほしいといのが伝わらず、ものすごく緩くなってしまった。

 

これはあまりにも極端です。

どうなるか分からないことには、”徹底的にやる”か”まったくやらない”かの2択しかないのは海外目線で見るととも不思議だと思われています。

 

確かに、言われてみてそうだなと思ったし、現実的に見ても日本のルールを決めているトップは頭が固く中間的考えを持たない。

 

私たちはそれに従うしか道が無いので、仕方なくその道に乗っかる。

 

全部が全部、全身全霊をかけて働くか、やらないなら一切手を付けないのではなく、まずはちょっとだけ味見してみて変だったらちょこっとずつ変えていき、結果がどうあれ

まぁこれでも良しとしよう

と思える寛容力が必要だと思う。

 

外国人は完ぺきを求めていない

自分に寛容になる。

~しなければならない、これは一般的に見て変かもしれないという固定概念を少し緩めてくれるし、自分だけでなく他人の世界観についても寛容になってくる。

 

他の国って日本と比べると何かを間違えても誰かがフォローします。

また誰かのミスを別の人がフォローします。

完璧じゃなくてもいいから周りの人がその完璧じゃなかったところを補おうとする関係があるからみんな他人に対しても寛容であるし自分に対しても完璧じゃなくていい、こうでなければならないという束縛概念を感じられませんでした。

 

これって個人的にはとても重要だと思うんです。

 

頭が固くなるのは決められたことを守らなければならない、自分目線で世間体を個性が消えるほど気にしてしまっている。

それってそもそもどこからこうなったのかなと思うと日本人一人一人がそうあるべきと思い込んでいるのです。

 

日本人が勝手にこうあるべきだと物事のルールや考え方を必要以上に作り上げてしまって無個性と言われてしまう性格を作ってしまっている。

 

この気持ちが緩めば自分の個性を外に出せる勇気にもつながるように思います。

 

完璧主義すぎるのもいろんなところで邪魔になっていますね。

 

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