オーストラリアワーホリ1年予定を半年たたずに途中で断念 ワーホリ途中でやめて帰国した苦渋の決断理由

私はオーストラリア留学を1年VISAで行ってきたのですが、約5ヶ月と少し滞在して残り半分以上の滞在可能期間があるのに途中で挫折して日本に帰ることを決めました。
中にはたった1週間とか、1か月経たずして断念し帰国する人も見かけますが、正直それは早すぎる。
当たり前だけど海外です。日本ではない。
それを前提で生活面や精神面でいろんな不具合や不安要素があるのは慣れるまで仕方がないので1ヶ月経たずしてなんか合わないなぁ~と思って帰ろうとしているなら、もう少しだけ踏みとどまってみてせめて1ヶ月(4週間)は滞在してほしいと思います。
新しい環境に心身ともに慣れるまで人にもよりますが平均的に見て1ヶ月はかかります。
自分がイギリスとオーストラリア2カ国留学とワーホリした身ですがどちらの国も慣れるまで3~4週間かかりました。
それまでは不安でネガティブになったり、孤独に耐えられなかったり、英語話せなくてつらい惨めだと思ったり、周りの留学生の日本人に助けを求めてもハブられたりと悲しいことがあって嫌なことが続いたけど、1ヶ月経てば英語は相変わらず話せなかったけどなんかやっていけるかもと言う自信が備わっていました。
来たばかりは慣れない環境という不安要素が強くて即帰国してしまう人もいますが、そこで帰国してしまったらワーホリの本当の楽しさもつらさも知ることなく帰ったことになります。
人によったら数日でその国に体が慣れてきます。
ワーホリに来た国に慣れてから、本当に合わないのか?ワーホリに来た意味あるのか?などの事を考え始めても全然遅くはないので早すぎる帰国だけはもったいないからそんな人がいたら私は引き止めたいという話です。
と言う私ですがオーストラリアに2ヶ月くらい滞在してから徐々に強く帰国を考えるようになりました。
孤独や寂しさとか環境に慣れてないから沸き起こる感情を除外した理由で考えられていたのでそれなりに真剣でしたね。
しかしそれでもさらに3ヶ月以上踏みと留まれたのは良かったと考えています。
結果的に途中リタイアという形で帰国しましたが、途中でワーホリ生活を諦めたから日本に早々と帰ってきて思う事などもいろいろありました。
もう帰国しようかと考えて悩んでいる人に少しでもアドバイスの糧になればと思います。
目次
留学からワーキングホリデーに変わって分かった過酷さ

私はイギリスで語学学校に3か月通ってから引き続きでオーストラリアに飛びました。
オーストラリアでも最初の1ヶ月は語学学校に通いましたが、学校が終了すると同時に何とか日本食レストランで働くことが決まりワーキングホリデー生活が開始しました。
そこで感じた語学学校に通っていた留学生時代の生活との大きな違い。
ワーキングホリデーって言ってしまえばサバイバルのような感じで、何の道具も無しにジャングルに一人取り残されたような過酷さがありました。
やはり学校で勉強できる身は守られていますし勉強していればいいという受け身な気持ちでもいられたのでそれなりにのほほんと暮らしていました。
友達も語学学校で知り合った外国人と仲良くなれたのでそこまで孤独にはならないしいろんな人と話せて楽しかったけど、ワーホリは自分の履歴書(レジュメ)をとにかく雇ってくれそうなところにばらまきに行って、その国で生活するために金を稼ぐ仕事を手に入れるために必死に売り込む試練が待っていました。
友達作りなんてなかなかできないし、語学学校と違って働き先の人間関係が自分の出会いの場になっていて、狭きものになっていました。
留学のエージェントからはすぐに仕事見つかるよ~とまるでオーストラリアでのワーホリはイージーライフとでもいうような感じで言われていたのでこんなに大変だとは思いもしなかったというのが素直な感想でした。
言葉も不得手な海外で仕事探しや、宿に住み続け、ご飯を食べて生活するためのためのお金稼ぎをしなければならない。
とにかく全部自分で何とかしないといけない。
これは日本で独り暮らししていた時よりももっとハードルが高いと感じましたね。
ただ日本より楽しい事や刺激もあったので辛い事ばかりではもちろんありませんでしたが。
英語力に伸び悩み毎日悩んで鬱状態になる

私がワーホリで日本食レストランに働き始めて数か月。
一番の悩みの種となったのが英語が全く伸びていないと感じたことでした。
語学学校に通っていた時は本当に速いスピードで英語の知識が増えていき、話すのが楽しくなっていて、また新しい英単語やフレーズを覚えては使ってと言う生活でした。
しかし働き始めてからはそれがなくなりました。
日本食レストランで働いてはいましたが周りのワークメイトはほとんどが外国人である意味英語を話す環境としては恵まれていましたが、接客で使う英語って1度覚えてしまえばそのフレーズをただ繰り返し使うだけで何とかやっていける。
主な仕事はできた料理をお客さんのテーブルに運んで、片づけて、レジをして、掃除をして。
英語ができなくても仕事ができてしまう環境でした。
同じアパートに住んでいた外国人の友達と毎日会話をしていたのですが、正直その時間が自分にとっての英語のインプット時間でした。
仕事では英語力は伸びない。
それが分かってからワーホリをしている意味って何なんだろうと考えるようになりました。
オーストラリアは稼げるは嘘だった 違法賃金バイトはもはや奴隷
当時のオーストラリアでの最低時給額が18ドル以上でした。
それ以下の賃金は違法。
しかし合法で給料を渡しているところで最低賃金額ぎりぎりのところは稀で、最低でも20ドルを超えるのが一般的。
オーストラリアの語学学校で知り合ったブラジル人やコロンビア人の友達が働いていたところは25ドル前後といった感じでした。
しかし私が働いていた日本食レストランは時給14ドルのところでした。
14ドルって日本食レストラン界隈ではアベレージな時給でもっと低いところは10~12ドルなんてところも多いです。
日本食レストラン含め韓国や中国・タイなどのアジア系のレストランはとにかく時給が低いです。
タイ人の友達でタイのレストランで仕事が決まった子は時給換算すると7ドルだったという話を聞いたのでそれに比べると14ドルはまだいい方なんだと思っていましたが、正直この時給では全然優雅な生活はできないのが現実でした。
出ていく方が圧倒的に多く、お金を稼ぎたいならそれだけ働かなければならない。
ワーキングホリデーに来た醍醐味って旅行やリフレッシュなど日本で働いていたら感じられない開放的で自由な働き方を想像していたけど実際は働いても働いてもお金はたまらないし、その働いている分自由な時間がなくなる。
ただ国と言う環境が変わっただけで日本での飲食店アルバイトと一切変わらないという状況でした。
自分がそこまで十分に貯金をせずに担当だった留学エージェントの話を鵜呑みにしたつけがこの時回ってきました。
オーストラリアでの給料のは週1で貰えます。
毎週稼げた額は良くて200~230ドルといったところでした。
そして私が当時住んでいたドミトリーの宿は190ドル/W。
残ったお金は10~40ドル。
目を疑いましたね。
日本円にして900~3,500円程度しか週に手元に残らない。
食材買ったり電車に乗ったらマイナスです。
その他にも携帯料金や雑費でも日々出ていくのできつかった。
オーストラリアでの家賃を払うためだけに働いて、支払ったら手元にはほとんど残らない。
また週によっては仕事がなかなか入れてもらえないこともあり1週間に稼げた額は170ドルだった時もありました。
住んでいた宿が日本のクレジットでの支払いに対応していなかったので何と現地でか稼いだお金から支払わないとやっていけないというシステムでした。
しかし私はこんな感じで全く稼げておらず、結果的に家賃を2週間滞納して待ってもらったこともありました。
待ってもらって払えたけど、また次の週の分の家賃がない。
本当に地獄ループでした。
この状況を脱するために他の仕事の面接に行ったりもしましたが14ドル以下の時給ばかりだったのと、交通費を差し引くと今働いているところより良いところが結局見つからず、またダブルワークだと雇いにくいなどの理由でなかなか新しい仕事が見つかりませんでした。
お金がないってこんなにも絶望するんだと若干鬱状態でしたね。
明日には住むところがなくなっているかもという考えももちろんあったのですが、日本に帰るためのチケットすら変えない生活って何なんだと。
こんな状態が2ヶ月ほど続きました。
こんな感じで英語は伸びないし、日本で学生生活の時にしていたような仕事内容でお金も大して稼げない。
ワーホリでの仕事ははっきり言ってモチベは全くなかったです。
稼ぎたいならその分自分の時間を仕事に当てなければならないし、負のループにどっぷりはまってしまいなかなか抜け出せなかった。
職場も変えようと何度も試みて転職活動をしたが、私の英語力が当時中の下ほどしかなく面接すら断られる始末でした。
同じアパートの外国人の友達に励まされ、もっといい仕事があるから仕事を変えるんだ。
そしたら生活も安定してくる。
何よりもこのワーキングホリデーに来れているのは日本人の特権なんだぞ!
と激励を貰えたのと、その外国人の友達たちともとても仲が良かったので日本には帰りたくない理由もあったのです。
元気つけてくれる仲間に支えられてかなりぎりぎりの生活ではありましたが何とか数か月その状態で生活していきました。
仕事に慣れてくるとシフトを増やしてもらえるようになり少しづつお金に余裕ができたのと、休みを取りやすくなってきたので2か月の家賃滞納ループが抜けたあたりから友達とシドニーとシドニー郊外を一緒に旅行することもでき、苦しい事だけではなくちゃんと楽しい事もでき始めました。
こういった飴と鞭な生活でもあったのとオーストラリアで出会った友達ともっと一緒に居たいと思えたことで少し頑張ろうとも思えてきて、葛藤の中オーストラリアに居続けていました。
本当に周りの友達には恵まれていました。
結果的に生活苦と英語力が伸びないことで帰国を決断する

デメリットとメリットの板挟みの中何とか居続けたオーストラリア生活でしたが、4ヶ月がたったあたりからだんだんとモチベーションが消えていきました。
2~3ヶ月住んでなかなか英語が伸びないこと、お金が稼げないことなど一番求めていたことの2つが脆くも崩壊した事実はかなり辛かったのですが、友達といることでモチベーションを保っていました。
しかし、4ヶ月が経ったあたりから自分の今後の事について考えるようになっていきました。
ワーキングホリデーに来ている期間ははっきり言って大きなブランクです。
日本に帰った時にそのブランクを抱えて就職活動した時にちゃんと仕事が見つかるのか。
また前職がWeb系のプログラミングの仕事をしていた事もあり自分が磨きたいと思ったスキルがどんどん忘れていき使えないものになって行っている。
ブランクを取り戻せるかという不安と、この何のスキルにもつながらない期間に日本でしっかりと技術をつけられたら将来的にも安定するという考えがずっとよぎっていました。
オーストラリアにいるのに英語力が伸びない環境で日本に帰っても仕事につながらないような接客業を続けている意味って社会的に見て価値がないんじゃないか。
この考えが大きな帰国理由となりました。
日本食レストランでバタバタと働いていてふと自分だけが時間がとまる感覚になりました。
ピタッと止まってみてがやがやしている店内を見まわしてみる。
確かにお客さんは外国人がほとんどだ。
でもなぜかその空間が日本の飲食店で働いているように目に映ったんです。
お客さんも外国人だけど、日本の飲食店にも外国人のお客さんは来ます。
わざわざオーストラリアに来て働いているのに日本にいるのと何が違うのか度々分からなくなることがありました。
これが嫌だったので現地エージェントを利用してクルーでの仕事やインターシップの仕事などの相談にも行きましたが、私に圧倒的に足りなかった英語力があと1レベル上がっていれば面接を受ける資格があったけど当時の私には一歩及ばずで価値ある仕事に転職する資格を貰えませんでした。
またエージェント利用をすると紹介料や利用料として数百ドル取られる契約。
そのお金すらなく新しい道は塞がれました。
帰国する前に不安に思った日本での就職活動

日本への帰国を真剣に考えるという事は日本での就職活動を考えなければならないという事でした。
オーストラリアに居ながら日本の求人情報を見あさって、自分がいま求めているのはオーストラリアでのワーホリ生活ではなく日本の会社でちゃんと安定して働いてスキルを磨いていくことではないのか。
日本で働いてた仕事のプログラミングの技術を磨きたいとはイギリスでの留学生活でもたびたび考えていました。
年齢的にも26歳という事もあり転職するにはそこまでハードルがないともいえる。
1年間オーストラリアに住んで働くことを想定しても、今後このままでは英語は話せないし仕事も接客の知識しかなく、日本で働いていた時のスキルはすっぽり抜けてしまっていることが容易に想像できたので、オーストラリア生活の現状を変えられないなら自分にとってのワーホリはリスクの方が大きいと判断しました。
帰国をする前にいくつか転職サイトに登録して仕事を見あさり、日本での就職活動をスムーズに始められる準部を始めました。
しかしそれでももう少しワーホリ生活を続ける事への後退りもあり、とても曖昧な中にはいましたが、やはり先の事を考えて準備をしているのは正解だったと思います。
日本での仕事情報を見ると少し安心する自分がいたのと、日本でもまた楽しく仕事をしたいというモチベーションから帰国することへの不安を軽くできたからでした。
別に就活は途中で辞めてもいいわけですが準備なしに帰国をすればそのブランクを転職活動でつつかれてしまいます。
帰国を考えてしまい日本での就活が不安な人は、一度日本での仕事情報をみて見ましょう。
備えておくとどの方向へ転んでも安心できるという事は言っておきます。
私が当時登録したのはとりあえず大手の転職サイトでしたので参考までに。
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帰国後の事は常に考えておいた方が良い
話の締めに入りますが、日本に帰国してからの事、ワーホリを途中で辞めて帰った後の事はちゃんと考えておきましょう。
ワーホリを1年や2年しようが途中で帰ることを決めようがいずれは帰国する日がやってきて、就職活動をしなければなりません。
帰国するという一つのプランとして想定し、就活をするための意識準備は自分の将来への不安を拭う1つの安定剤でもあります。
企業が嫌うのは説得力のない期間がある人間です。
今ワーホリに来ているが、もう帰りたいと考えて帰国し、そのまま少しまたのほほんと生活して日本に帰国してからもブランクを作ってしまうと企業側はそれをつついてきます。
どうしても日本はマイナスな部分をつつくのが好きな文化を持っているためその対策として在留中に帰国後の行動や、プランは考え始めましょう。
ただ一つ言えることはワーホリは1つの国で1回きりです。
とても貴重なビザであり、オーストラリアで出会ったブラジル人やハンガリー人、チェコ人などワーホリVISAが取れないもしくは取得が難しい国籍の人たちとも出会ってきました。
日本人がオーストラリアにワーキングホリデーに行きたいとなったら、すぐに申請が通る。
私は経った3週間で申請が通りました。
それが国が違うと取得できない、大変貴重なVISAだという事を知りました。
それくらい日本人であることは恵まれたことであり、年齢制限もあるのでほとんどの人は1度きりのワーホリ生活です。
ただ本当に悩んで苦しいなら本帰国ではなく仮帰国して1度日本に短期間戻るのもありだと思います。
私はまたオーストラリアに戻ってこれることも考えて帰国しましたが、それが本帰国となりました。
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日本企業の求人を見てまた別の思いが浮かぶ可能性もあります。
私のようにより日本で働きたいと感じる人もいれば、やっぱりもう少しワーホリを頑張ってみようと思い返す人。
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