人が怖いという恐怖症を少しの考え方で克服できた | 社会不安障害を抱えながら生きてきて分かったこと

私は10代の時に対人恐怖症または『社会不安障害』と言われる病気だと診断されたがそのまま放置して今まで生きています。

 

結構重度ではあったけどもともと責任感が強い方で不安障害で感じる『人が怖い』『人前で声が震える恐怖』『赤面する恐怖』などの症状に悩まされながらも『それでもやらないといけない』と鞭打って働いていました。

 

人前で上がってしまいそれを他人に認識されるのが怖くて早くこの人前に立つ時間が終わって欲しいと思いながらプレゼンをこなしたのは地獄でした。

その後一番嫌だったのが

“顔真っ赤じゃん!”

“声震えてたよ”

とわざわざ言われること。

 

それを言われて余計恥ずかしくなりますます顔が赤くなってその人たちに笑われて、本当に辛かった。

 

なかには

“プレゼン何回もしてるのにいい加減慣れろよ。

見ててイライラする。”

とも言われて不甲斐なくも感じました。

 

彼らに悪気がないのは分かっているけどこっちとしては苦痛でしかなかった。

 

この顔が赤くなる症状だけだと赤面恐怖症とも言われていて私は対人恐怖症と赤面恐怖症の2つを診断されています。

またこれらはセットで発症するのは珍しくありません。

 

まぁでも私は病院には通院はしませんでした。

何故かというと薬で治ったと言っている人を私が知る限り聞いた事がなかったから。

 

メンタル系の医者嫌いでもあります。

 

そんな人が怖い、できる事なら人と合ったり話したりすることを避けたいけど治療しない私が少しだけではありますが克服した経緯を話していきたいと思います。




一般的にアドバイスされる克服法を試したけど効かなかった

 

私は主に他人に対して『他人の目が怖い』『意見が怖い』『自分の発言で幻滅されたらどうしよう』などの不安があって怖い。

 

友人やネットなどで言われている対人恐怖症への克服法を試したけど効かない。

試したことについてまとめてみます。

 

誰もあなたの事なんて見てないから気にするなとか無理

良くアドバイスされるのが誰もあなたの事なんて見てもないし覚えてもいないよという事。

 

一理あるけどなんかそうじゃないんだよっていうアドバイスでした。

 

そんなの分かってるけど、私と相手が対面している時は確かに相手は私の事を見ていて、もしかしたら私が理由で不快な思いをしたかもしれないという時間はあるかもしれない。

そして結構覚えられているケースも多い。

アドバイスと全然違う…。

 

仮にその後その人たちが私に対しての記憶が無くなるかもしれないけど、そうじゃないんだよね。

 

今、自分と対面している人との今の時間に恐怖しているわけで私からするとその時間が終わればこっちだって相手がどんな人でなんて言う名前とか、プレゼンだったらメンバーは誰だったとか最悪覚えていない。

逆にプレゼン発表の時に私の時だけ寝られたりして、言葉通りみられていない行動をとっている人を見ると私はこう考えた

“自分がつまらないんだ。

人前で発表する価値ないのに人前に出ているのが苦痛だ。”

 

だから人が見ていようが見ていまいがいろいろ考えてしまって不安になるんです。

 

またその時の場の空気や相手の表情を考えるあまり怯えている自分は毎回インプットされている。

 

対人恐怖症は他人の目が怖いけど、恐怖しているのはその怖いと思ってしまう感情です。

自分が作り出す感情にストレスを感じて怖いとか不安だって感じていると思いました。

 

だから考え方を変えようと言われても、私にとっては何のアドバイスにもならなかった。

 

自分自身に他人は自分なんて気にも留めていないし覚えていない。

だから別に怖がることはないと言い聞かせても、過去の他人と接することで怖がっている自分が記憶から出てきてしまいそれは人と会うたびに蓄積される。

 

人が怖いという不安感や恐怖心よりも、怖い事を怖いと考える癖を治すことが私にとっては良いんじゃないかと思った話です。

 

だって他人の事なんて気にするなとか結果的に無理だったから。

 

場数を踏んでも治らなかったしむしろ悪化しました

幼少の時からあがり症な節があり、親や先生からは

“私も若いときはそうだったよ。

だけど何度もそういう場面を乗り越えてきたら今では人前でも堂々とペラペラ物事が言えるようになった。

貴方に足りないのは場数よ”

と言われた。

 

そうなんだ、何回も練習すればこの上がり症が治るんだなと思いましたが、人前に出れば出るほど症状がひどくなり結果的に対人恐怖症と診断されました。

 

場数をこなして人目に慣れるっていうのはとても合理的だけど、そうじゃない場合がある。

私のように。

 

一般的にアドバイスされる方法について思う事

 

  1. 人の目を気にするな
  2. 誰もあなたの事なんて見てないし覚えてない
  3. 失敗しても気にしない
  4. 場数をこなせば慣れる(これは失敗)

 

などのアドバイスを受けてきたけど、これってむしろどうやってするの?といつも思っていました。

しっかりアドバイスしているようにも思えてたけど人の目が気になる人に人の目を気にするなってどうやってしたら良いのかそこを知りたいのに誰も教えてくれない。

 

例えば今トイレにめちゃくちゃ行きたくて漏れそうだと思っているのにトイレに行きたいと考えるのはやめようなんて無茶な話はしないですよね。

生理現象です。

ずっと我慢してたら漏らしますし膀胱炎とかになってしまう。

 

これと一緒で気にするなと言われても反射的に考えてしまっていてそれができないから辛いのにしない事をすればいいとか言われても無理です。

その考えない方法を教えてくださいって感じでした。

 

どうやったら他人を気にせずにいられるのかというのとしっかりと説明してくれる人って一人もいませんでした。

 

目の前にいる人はカボチャだと思えばいいんだよ、って昔は流行って言われました。

でもカボチャじゃないよね、人でしかないじゃないか。

無理だよ!

そんな抽象的で、無理すぎるアドバイスは何の力にもならない。

もし本当にカボチャだと相手の事を思えるくらい視覚操作ができるなら現実世界で見えている物って何なんだとか思ってしまう。

 

活用できるもので具体的にどういう考え方をしたり行動をしたら他人の目が気にならなくなるのか、それで他人に対して恐怖心や不安感が無くなるのかなどの一歩踏み込んだ説明がまるでない。

 

場数をこなす以外は全部どうやって?という疑問しか生まれませんでした。

 

ちょっと哲学っぽいこと書いてますけど、こんな感じで他人のアドバイスなんて当てになりませんでした。



対人恐怖症で人が怖い私が試した克服法

医学的なこととかネットや専門書で言われているようなきれいごとな話ではなく中には性格を疑うようなこともあるけど結構これで楽になったのは事実でした。

 

  1. 怖いとなぜ感じるのかを知る
  2. 一期一会で出会う人と軽く会話する
  3. 一人海外旅行で外国人と接する
  4. ヤバい奴と比較して自分はまだましだと安心する
  5. 他人に一切期待しないし他人から期待されないようにする
  6. 自信家な人を尊敬しない

 

一つずつ理由を書いていきます。

 

怖いとなぜ感じるのかを知る

 

【恐怖の原因】

分からないから

死ぬ・殺されるかもしれないから

 

恐怖や不安感ってなぜ起こるのかと考えたときにそれは『分からないから』という事が当てはまりました。

知らない・分からない未知なものに恐怖心が湧く。

 

そしてもう一つは命にかかわること。

死ぬかもしれない、殺されるかもしれないという事も恐怖・怖いと感じることの1つです。

 

私が思う対人恐怖症は『分からない』から起こる恐怖症であると分析しました。

 

お化けとかが怖いって思うのは存在するのかもよく分からないし、正体が何なのかもわからない。

お化け屋敷でもどこから幽霊に扮した人が出てくるかも分からないし、とにかく何か出そうな演出をしている。

暗くてよく見えなくて分からない。

だから怖い。

明るいところで堂々とお化けの格好をした人がいたら見た目に最初は驚くかもしれないが、怖くはない。

 

恐怖とは分からないことが深まっていくんだって分かって、それを対人恐怖症に当てはめてみました。

 

他人の考えていることが分からない、自分ってどう思われているのかが分からない。

だからいろいろ考えてしまって怖くなっていく。

相手からの評価に怯えて人の目が怖いとか、どういう評価がされるか分からないから。

自分が失敗するかもしれない未来も分からないからそのプレッシャーから極度に緊張する。

 

分からないことや不確かなことに不安がっているから怖いんだと私はひとまず結論付けました。

 

一期一会出会う人と軽く会話する

すごく他人を利用したような話にはなってしまうのですが、1回しか会わない人っていっぱいいますよね。

そこらへん歩いてたりしたらみんな一期一会です。

 

私は当時対人恐怖症がMAXで酷かった時は地元を離れて東京で仕事をしていて、友達も親戚も家族すらいない環境でした。

みんな誰一人知らない人たちの環境です。

 

東京の暮らしに少し慣れてきたら適当な交流会に友人と一緒に参加したり、知らない店に行ってみたりしてそこで会う人や店員に簡単な会話だけでもするようにしていました。

 

特に交流会に関してはやや暴走気味でした。

 

一度しかきっと会わないんだしどう思われてもいいやと思えることって人をここまで大胆にするんだと気づきました。

私はめちゃくちゃ積極的に絡んでいって、変な奴と思われていたかもしれないけどお酒の力もあって少し強気になれました。

 

この1回しか会わないから後の事とか相手の態度とか気にせずに会話ができたっていうのはこの時に気付けました。

もう2度と合わないってわかっているってこんなに気持ちよく話せるのかと。

 

良かったら試して欲しい事の一つです。

 

一人海外旅行で外国人と接する

これも一期一会の人と軽く会話をすることとほとんど同じですが、海外にまで行くともう世界が違います。

私自身人見知りで対人恐怖症があるけれど旅行が大好きな人間です。

ただ人と関わりたくないということ。

 

外国は日本人が少なくなります。

一人だけで行くともっとです。

 

周りにいる外国人が何を言っているのかもわからないしこちらが何を言っているのかも彼らは分からないのです。

周りにたくさん人がいて、道を尋ねたり、レストランで注文をしたりと外国人と話さないといけないことが多いのですが全く緊張しませんでした。

 

というか環境が環境なだけに誰彼構わず私が今困っていることを助けてという考えになります。

対人恐怖症って他人を気にするあまり自分を出せなかったり怖くなってしまうのですが、海外に行くといろいろ死活問題が降り注いできて自分のこと以外気にできないという余裕のなさが誰かと話すことに対してストレスを感じなくなっていました。

 

他人の事なんて気にする暇もないって感じです。

 

少し自己中になれってことなのかなとも思えましたし、やっていることも道を尋ねたり、外貨両替店で為替の事情を聞いたり、水が飲みたいけど自販機もコンビニも無くて道で出会った人にとにかく水が買えるところを聞いたりとか、そんなことの程度でだんだん緩和されていった。

 

これもこの場限りであるのと外国だから別世界だというので切り離していたため、相手にどう思われるとかいう考えにはならなかったのです。

 

やばい奴と比較して自分はまだましだと安心する

とても性格の悪い考え方かもしれないけど、皆どこかでこの考え方をしているはずです。

だって人間だもの。

 

自分よりというより一般的なレベルでみてもあきらかに

“こいつやべぇ…”

って人何人か見てきました。

 

変態的な人ではなくても仕事上でこいつ仕事遅いなぁとか、ミス多いなとか、職場でもそういう人が必ずいて、彼らと自分を比べていました。

学校でも遅刻癖がある人や忘れ物が多い人など、ちょっとこの人大丈夫かなという人とを心の中で自分と比較するようになりました。

 

もちろん仕事ができない人を上から目線な態度で接することは絶対にしてないが、ただ心の中で

“こんな人でも堂々としているんだな。”

というところに着目して勝手に安心していたのです。

 

これが自分にとって失敗とかできないことがあったりとか、少しくらい他人に迷惑かけたりとかあっても別にいいやって思えるきっかけにもなりました。

 

意外にも周りの人はみんなに迷惑をかけたり呆れられたりしている人が多くいて、そしてそれは誰しもどこかの面で持っていました。



他人に一切期待しないし他人から期待されないようにする

期待したり期待されないことは緊張をほぐすことにもつながり、対人恐怖症の辛さを理解していない他人がよくアドバイスしてくる『誰もあなたの事なんて見てない』に繋がると思いました。

 

私が実際にこのことに気付けたきっかけについて。

とある学校での話なのですが、先生に質問ができて私は先生に質問を問いかけました。

そしたら先生もちょっと調べないと分からないという返事が来たことがあって私は

“なんで先生なのに知らないの”

と責めるような評価を先生にしていました。

 

先生だって人間です。

知っていることしか知りません。

でも私は先生だから何でも知っている、しかも授業内でできた愚問だから余計に感じました。

答えられないなんてありえないと潜在的に思っていたようです。

 

この他人に対して過剰に期待していることは自分にも返ってきました。

 

相手からしたら軽い質問を私は自分で勝手に重く受け止め、絶対に相手が納得の行く回答をしなければいけないと考えていました。

もちろん意識的に考えていたわけではなく、そういうものなんだと思っていました。

何故なら私自身他者にそれだけ期待をしていたからです。

 

その結果自分で勝手に他人と自分に過剰に期待しすぎていて首を絞めていた。

 

社会に出て感じたことが意外にも周りの人は物知りなんて少ないし、しっかりとした考えを持った人も少ない、責任感もない。

結構適当な知識のまま生きている人がほとんどなんだと気づくこと。

そして別に自分に対しても他人からの疑問に完璧に答える必要はなく、他人に期待されるような態度をとる必要もない。

図書館のような知識量を誰も自分に求めていない。

 

こう考えるようになってからかなり人との対話や大人数でのプレゼンなどで上がらなくなりました。

期待していないし期待されていないから適度に力を抜いて挑んでもいいんだと思えたからです。

 

自信家な人を尊敬したりしない

私自身自信家でナルシスト気味な人に強く憧れていて、今でも自分好きな人は良いなと思います。

 

しかし自分に自信があって堂々としている人を見ると自然と比較してしまっていて、周りの人も私とその自信家の人と比較しているんじゃないのかとか感じる時もありました。

 

場合によったら自信家の人って対人恐怖症の人からするとプレッシャーの塊でもあるように感じたのです。

 

人前で震えたり、顔が赤くなったり、声が出なくなったりして対人恐怖症が発症してしまう。

これってもし周りの人みんなが人前に出ると声や手が震えていかにも緊張している人たちばかりだったら『そういうものなんだ』と思えたかもしれない。

 

でも堂々と自信満々にまたは、何でもないように人前に立てる人がいる限り人前で緊張している人って普通には見えなくなるんです。

 

自然と自信を持っている彼らと自分の症状とを比較して余計自分のこの上がってしまう症状は異常なんだと考えてしまう結果になっていました。

 

なので、自信を持っていそうな人、堂々としている人を必要以上尊敬することをやめて自分との比較対象から外しました。

あの人は人前に立つのがただ好きな人なんだな程度で考えに止めて、自分が極度に緊張していることが異常だと責めることをとにかく緩和させました。

 

これはちょっとトレーニングが必要でした。

やっぱり潜在的に堂々としている人はかっこいいし、人前でも難なくやってのける人を見ると

“自分の番になった時にあの人みたいにできない。

どうしよう…。”

とよりプレッシャーになってしまう癖ができていたから。

 

時間が掛かったけど意識し始めることは効果が得られました。



人の目が気になるなら他人になり切ってみる

人の目や態度が気になったり、評価や発言を気にしすぎて他人と接するのが困難になるほど怖くなる病気。

これって全部自分目線で他人の考えている分からない部分を作り出している部分も大きいと思います。

 

病気なので体が反射的に反応してしまうどうしようもないことも多いですが。

 

でも自分目線で他人の考えを想像して、それにプレッシャーと感じるならもういっそ他人になり切って他人をみて見るのも良いのかもしれないと思いました。

 

つまり、自分以外の誰かになり切って、他人の感覚で自分以外の人を見てみる。

どこにも自分がいなくなるけど、これがとても気持ちが楽にはなりました。

 

必要以上に自分を見すぎていたことも病気が出始めた理由に感じたので、それならいっそ自分が他人の前にいて、緊張してしまう場面である時は自分であることをやめようと。

 

これに関しては私は未だにできない時もありますが、自分の事を必要以上に見つめないという事に重点を置くことは症状の緩和になりました。

 

人前で話したり、初めての人とか目上の人などの緊張する場面で話したりするときは吐き気にも似た

うっ…

とする感じが出る時もあるけど、昔ほど手や声が震えたり顔が赤くなるような他人がいかにもこいつ緊張しているなという症状が減ってきました。