日本人は年齢を気にしすぎるあまり早く年を取っている 日本人の年齢差別

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日本人は年齢で相手の価値を決める

日本人って初対面ですぐ年齢聞いてくる人が多い気がします。
驚いたのは名前を聞くより先に年を聞いてきた人。
あまりにも失礼ではないだろうか…。
あれが私は耐えられないくらい無理な行為の一つです。
聞いて一体どうするの?知って何になるのか…。
いろんな国に行って、もちろん海外でも年齢を聞かれることはありますが、日本人のような年齢で見定めようとするような奮起は一切感じませんでした。
何故そんな違いを感じたのか、考察してみました。
日本と海外の年齢の聞きと捉え方の方違い
日本人の特に女性に多い気がするのですが、よくはじめましてなのに”何歳ですか?”って聞かれます。
その質問で自分の評価が相手の中で勝手に測られて対応を変える人が多いので私はこの質問怖いんです。
こういった質問の裏がありそうな人に聞かれたときは言いたくないことを伝えると、
今度は年齢を言いたくない理由についてしつこく聞いてきたり、もっと失礼な人は年齢を当てようと〇〇歳?△△歳?
とシークレットにしたい意思を伝えても探りは続きます。
これが個人的に感じる日本でしんどくなるコミュニケーションの取り方の一つです。
どうしてそこまで他人の年齢に固着するのか?
個人の見解ではありますが、自分の年齢と比較して上の立場になるか下の立場になるか。
相手のよって態度を決める基準として聞いていると思うんです。
それに気付いてからは年齢を聞かれても言うことに抵抗を感じ始めました。
私は必要でない限り他人に年齢を聞きません。
私が年齢を聞かない理由は年齢だけではその人のことは一切分からないからです。
そんなことよりも別の話題をして相手の事を理解する方がいいと思うんです。
先ほども書いたように年齢を聞く人の大半が自分より下か上かを決めつけたいから聞く人が多い。
若いね~、または意外と年いってるねなどと言って相手が勝手に思った”私”もしくは相手自身の年齢と比較されたコメントをされるのが嫌なのです。
年齢比べてどうするの?と思います。
人間1年に1歳必ず年は取るのに年下をうらやんで若いねと言っている人に違和感を感じます。
海外ももちろん年を聞かれることは多々あります。
ですが言いたくないというと詮索はしない人が多いです。
詮索しても日本人の聞き方と全く違います。
チリ人やオーストラリア人の男性に年齢を言いたくない理由を話したことがあったのですが、彼らは
“なんで?年齢なんてただの数字じゃないか。”
といいました。
この発言で彼らにとっては年齢は本当にただの興味で聞いただけに過ぎなかったのです。
本当にただの何気ない会話の一部に過ぎない。
私に興味があるから私の情報がただ知りたかっただけ。
相手の価値を年齢なんかで測るという考えがないことが伺えました。
ここが日本人と違うなと思うところです。
また海外で出会った外国人は年齢を後悔したところで年齢に対して意見しません。
10代なら子供だなぁーというような話、20代なら大人なんだからという話はしますが、相手の年齢を自分と比べて自虐したり、横柄になったりと態度を変えたりといったことはほとんどありません。
たったそれだけのことなのにとても居心地がよく感じました。
同じ日本人の留学生は
“たまに自分の年齢忘れちゃう”
とまで言っていて日本人同士、年齢の縛りから解かれた気持ちを共感しあっていました。
年齢が若いからと努力を認めない
私は年齢幅が20~50歳近くまであった学校に少しだけ通っていた時がありました。
勉強する内容もかなり難しくて、宿題をこなすだけでは理解が深まらないと判断してほとんど毎日夜遅くまで勉強していました。
そのためテストのスコアやプレゼン、成果物の成績も自然と上がりました。
しかし同じクラスの年上の人たちからの評価は
“若いから覚えるのが早くて良いね。”
でした。
毎度のように言われました。
確かに年をとることで記憶力が低下してしまうのが衰えであるが、私は自分で自分をほめたくなるほど努力した結果だと思っていたのに周りからしたら年齢が若いからできたんだという評価として捉えられていました。
かなりショックだったのを覚えていますし、それを説明しても”それでもやっぱり年齢が~”となるので話にならず何も言わなくなりました。
どの年代になっても年齢による悩みが尽きないのではないかと確信した瞬間でもありましたね。
日本人は年齢で、相手のスキルや立ち位置、また自分の年齢と比べて上下を決めつけるなどといった、たった一つの情報で多くのことを比較し決めつけます。
個人的にこれは年齢差別だなと感じます。
年齢は確かに一つの基準として見られるものではあるが、日本人の年齢に対する評価と先入観の仕方は、相手の未知なる能力・時には個性をも奪う差別的行為であると思います。
海外と比べるとただただ古臭い考え方がいまだに浸透しているようにも思えますね。
年齢を気にしすぎるあまりにできたアラサーという言葉の裏側

25歳を超えるとアラサーだと言っている日本の文化。
アラウンド〇〇歳といった言葉が一時期ブームになり今では定着し誰もが自虐を含めて使っています。
25.6歳でアラサーだからというとなんか違うんじゃないかと昔から感じていました。
25歳は25歳だし、30歳は30歳です。
アラウンドというそのあたり周辺の年齢だよーとひとまとめにする言葉が生まれてから日本人は早く年を取ろうとしているようにしか感じません。
変な話ですね。
日本人の特に女性はどこの国と比べても特に年齢を気にする狭苦しい文化を持っています。
常に若くありたいと思っている人種の代表ともいえる日本人がそのような言葉を使うことで20代でも30歳扱い、30後半になると40歳扱い。
この文化日本人の気持ちを考えるととても矛盾を感じもしますし、自虐を入れて先に棒波線を張っているようにも感じるこの行為は日本人らしくもあるように思います。
海外では履歴書に年齢は不要

私がいたイギリスやオーストラリア、またアメリカも履歴書に年齢と顔写真は基本いりません。
これが必須としている日本はあるいみ年齢・また見た目の差別をしています。
海外は年齢で相手を測るのではなく、その人が持っている能力しか見ていません。
できる人間は何歳でもスキルアップできる場所が提供されます。
能力がずば抜けている人間や特殊な資格のある人間は置いておいて、日本では年齢を見てこれくらいの年齢なら扱いやすそうという見方で採用を計る会社はまだまだ多いです。
また会社の教育者より年上の場合はその時点でお断りなところが多いです。
というのも前職で上司が何人か人材を増やそうとしていた時やはり年齢を見てある程度切り捨てていました。
上司は、その人に能力があっても年齢の壁で自分がその人に仕事を教えれる自信がないとはなしていました。
上の人を敬うという文化が違う方向にこじれてしまっているようにおもいます。
年齢で相手を決めつける文化は日本の首を絞める
年齢は確かに1つの基準として、能力・知識・常識を測る上で日本ではとても重要視されています。
しかし、その見方を海外と比べると、差別的にも感じることは多い。
いろんな国の人たちが私に言っていたように年齢はただのスコアです。
そして社会的に見るならばあくまで基準値。
あなたの情報の一つに過ぎないのです。
しかし日本では年齢に固着するあまり相手の能力の幅や力量・性格・個性などを見ることを省いてしまっている。
年齢による情報に傾きすぎている。
それなのに皮肉った表現をして、アラサー・アラフォーなどという言葉でちゃんとした年齢をあいまいにしている。
結果的に実年齢より年が上になる言葉を使っているため、自分の年齢プラスαで自分の年齢を考えてしまう。
変なのって感じですよね。
やってること言ってることが矛盾だらけですがこうなったのはなんだか日本人としてわかる気がする。
差別の話題ですが近年から取り上げられているLGBT問題。
次の2020年のオリンピックに向けてLGBTの差別意識を無くそうといった運動が活発に感じます。
このセンシティブな問題意識を緩和させようとする運動についてはとても関心しますが、もっと身近な年齢に対する差別については日本人は差別だと感じていないように感じます。
年を重ねてしまった人間に対しての就活や転職などの環境を変える行動には全くと言っていいほど優しくない。
皆年を取ることを気にして、アラサーなどという言葉が生まれるくらい自虐して、年を取ることを恐れているのはこの背景が大きいのではないかと思う。
この年齢ならこれくらいで来て当たり目と押し付ける世間の目。
日本人は自己評価が最も低い国民性を持っています。
そのうえ年齢による変えようのない縛りで年々苦しめられている中には才能が十分にある人間も多い。
年齢だけで測ってしまい、能力を試す場所が与えられずに潰れていく人も多いんじゃないだろうか。
日本人を縛りつけているように思う年齢問題も他の国ように差別意識を取り除いて欲しいと思います。
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