友だちはいるけど、別に遊びにも行かない、連絡もしなくなったら半年とか来ない。
会ったりしても本音で話せない、楽しいと思うよりなんか違和感を感じる。
これってもう友だちというかただの知り合い。
つまり自分には友達がいないんだと思って孤独で寂しいけどそれをどう解決すればいいか分からない時、よく言われるのが「自分が時間を忘れるほど没頭できる何かを見つける事、趣味に時間を割く」など。
確かに忙しかったり、好きなことをしていると寂しさって忘れます。でも個人的にこれは単なる一時的な目くらましで、根本的な解決にはなっていないと感じた話です。
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そもそも友達って必要?という議論について
自分がストレスに感じるくらいの友達や利用されているだけの関係性を作るくらいなら友達はいらない。
そういう例えを上げて友達は場合によっては不要という考え方もわかります。
ただ個人的に思うのが、自分が友達が欲しいと思うなら必要。ただそれだけのことです。
心理学的にとか有名人や偉い人が友達はいいらないなど述べている話を聞いて共感することもありますが、結局はこれらすべて他人が言っているいち意見、いち価値観。
友だちがいないことを正当化するために必要ないという考えを読み漁っても、結局自分が友達が欲しいと思ってしまっているのなら必要ということです。
自分が友達が欲しい、ボッチは寂しいと思っているけどネットやYouTubeとかで「友達が必要ない方が幸せな人はこんな人」とか「僕は友達がいないけど幸せな理由」みたいなタイトルの情報を見漁っても表面的に自分をごまかしているだけなのであまり解決にはならないのです。
寂しいと感じる理由は自分を大事にしていないから
孤独でも寂しくない時って私にはありました。むしろ心地よいって感じです。
海外に一人で旅していた時心細かったのですが、日本に帰国するときに乗り換えの海外の空港でどんどん日本人観光客が集まってきてその空気が煩わしいと感じたことがありました。
外国人で言葉は一切分からない海外に一人でぽーんと出かけた時は孤独で不安で、でもそれを楽しんでいたんですよね。
その時は頼る人が一切いなかったのに寂しいって感じなかったんです。
それが言葉を理解できる日本語が聞こえてきた途端になんだかがっかりした自分がいて、それと同時に孤独を感じて楽しんでいたのにも気づきました。
孤独=寂しいではない場合もある。
じゃ、寂しいって何なんだろうって考えた時、自分が辛いと感じている時、自分が自分のことを理解してあげていない時に感じる感情なのかなって。
だって孤独じゃないのに寂しい時ってありますよね。
最初はそれは周りによき理解者がいない、自分のことを分かってくれる友達がいないとか周りとの折り合いがうまくいかないからだと思っていたのですが、突き詰めてみると自分で自分を大事にしてあげていないから湧く感情の方が正しいと思いました。
ホントは自分はこう感じているんだよ、こうしたいんだよ、しんどいんだよって心で言っているのに気づかないで周りに合わせたりなどして自分を無視しているときに寂しいって感じる。
寂しさって自分を大切にすることでほんとに緩和されます。
自己肯定感を高めて自分を卑下しない。自分を一番大切にできるのは自分自身なので寂しいと感じた時は自分を大切にできていなくて心が悲鳴を上げているサインなので、ちゃんと自分に目を向けて大切にすることに注力してみてください。
友だちがいなくて寂しいから趣味や仕事に没頭しても結局は無意味だと思ったこと
本記事の本題に入ります。
冒頭でも述べましたが、友達がいなくて寂しいなら趣味に時間を使ったり、仕事を忙しくするなどして寂しさを感じないようにすればいいという案。
人によってはこれで解決しますが、そもそも寂しがり屋な人に対してはこんなアドバイスしても結局は振出(ふりだし)です。
そもそも一番自分が楽しいと感じることが人と話してて笑っている事、他人と共感したり、同じ時間を過ごしたり、喧嘩したり、深い話をしたりなど他人がいないとできないことでしか楽しさや幸せを感じない。
そういう人の場合孤独に仕事を頑張っても、趣味に没頭していて楽しいと感じていてもふとした時に「なにしてんだろう」って感じてしまいます。
1つの解決案にはなりますが、人と接することがそもそも好きだけど友達がいないという人にとってはあまり効果をなしえないです。万人受けではない解決案だと思っています。
友だちが欲しいのにボッチで寂しい人は人付き合いを間違えている
友だちがいない、それで寂しいと感じている人に共通しているのが「相手に求めすぎている」「狭く深くな関係がいいと思っている」です。
依存気質と言いますか、これが100%悪いとまでは言いませんが友達が多い人ってかなりフランクな付き合いです。
本音で言える友達が欲しいと思う人は多いですが、人付き合いがうまい人は何でもかんでも相手に自分のことをさらけ出していない。
もっというと人によって話すテーマを使い分けています。
例えば食事友だちとならどこのお店がおいしいとか、ドラマでやってたレストランの話。
ドラマやアニメが好きな友達ならそのテーマ。
スポーツの大会などを目指すチームに入っているならモチベーションやうまくなる方法などの話。
人間関係で恋人の相談や恋愛トークができる友達もいれば、職場の人間関係のみを相談できる人など人ぞれぞれ許容できたり共感できるテーマが様々です。
自分の中にある話したい事が相手にとっては聞きたくないテーマである場合もある、または受け止めきれないことも大いにあるということを理解しなければならない。
なので最初は無難に軽いトークから始めてみる、そこまで深い関係にならなくてもいいと思うことは大事。
心底悩んでて暗いテーマだけど話したい、本音が言い合える人が欲しいというのは分かりますが、そういう関係を100%求めすぎていては周りが見えなくなるということです。
狭く深くではなく、広く浅くな関係で人は十分。その中でだんだんと本音が少しずつ話せる関係ができたりします。
相手を求めすぎたり、相手が苦手とするテーマを強要して自分の深層心理、深い部分まで理解してもらえないと友達と言えないという考えであると少し生き方が辛くなってしまいます。
人って自分の本音を理解されなかった時に辛くなったり、孤独を感じて寂しくなったりなど何かしらネガティブなショックを受けてしまい勝ちです。
友だちを増やし、自分自身も寂しさを感じない程度の関係性を保つのは実は関係性の深さではなくて広さを大事にした方が友達がいないと悩んでいる状況を変えられるのではないかと感じています。