日本の会社で働いて、海外でも働いて、様々な地域と国を超えた文化と環境の違いをこの身で体験して思う日本のお堅い働き方。
昔と今とでは時代は大きく違い、便利になる一方。
科学やIT・AIなど発達しつつ業務内容が楽になるはずなのに、現代の日本人は昔よりも忙しくそして病み切ってしまっている。
狭苦しい生き方、働き方、そんな中にいてもはけ口はなく誰も気づかず助けもしない。
日本では生き地獄のような社会人経験を経た自分が過労死の原因について考えてみました。
気になるところから読む
日本人が仕事に対する考え方
私自身日本でアルバイトや正規などでいろんな職種や雇用形態で仕事をしていました。
バイトでも学生バイトではなくフリーター時代と正規で会社で働いていた時に特に強く感じたのは、私たちは会社や組織のために働かなければならない。
自分のためじゃなく、その会社の利益やお得意のお客様と関係をよくすることを徹底し、言葉では言われはしないがその働き方精神は組織のために心を捨て身を削れといったような感じでした。
会社のために働くのはもちろんですが、海外と比較すると
海外では建前が会社のため、本音は自分のため。
日本人もそう謳っている人がいるかもしれませんが、その働き方の態度はどう見ても本音が会社のため、建前ももしかしたら会社のためとなってしまっているかもしれません。
またその末に起こる悲しい結果、うつ病になってしまったり、過労で亡くなる、または自殺してしまう人。
なぜ日本だけこんなに騒がれているのかを海外生活で自分が感じたこととを比較して考えてみました。
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外国人にとっては仕事はただの金稼ぎ
日本の世の中にもずいぶん昔から海外と日本の働き方の違いや考え方の違いについての本や記事、ニュースなどが出回っています。
私は実際に海外で働くまで、それは本の中の世界でした。
つまり、誰かが言っていて疑似体験した空想の話。
しかし実際に海外で働いている人たちを見てきたのと、自分自身もオーストラリアで働いてみて感じたことは、日本と比べてなんて気楽なんだということ。
働き方の意識の違いから海外と比較すると働く態度が日本と海外とで大きく異なると感じました。
私が日本と絶対的に違うと感じた海外の働き方は、どの国の人も海外に行った際に必ず利用する飲食店、またその他の接客業については日本と大きな違いがあります。
サービスなんてありません。
まぁちゃんとサービスはあるけど日本のそれと比べると無いに等しい。
銀行で見た若い職員の人でため口でなめ切った態度で接客してくる人をロンドンで見かけましたし、ほとんどの店のレジにいる定員に至ってはガムを噛みながらレジ打ちをしている。
年のいったおばあちゃんが経営している美容院でバイトをしていた友人から聞いたはなしで、その美容師さんはスープを飲みながら常連と思われる客と談笑しながら髪をカットしていたと。
室内がオニオンスープの臭いになっていたが、みんな普通の事の様だったと話していました。
これは帰国後に日本人に話すと”それはさすがに嫌だ”と断固拒否されることがほとんどだが、もうその感覚自体がストレスの原因だと思います。
私はイギリスでこれらの光景にであってもいいんじゃないかと思います。
ちゃんとその人は”お金に見合った”仕事してるんだから。
その他にもフレンドリーと言ってしまえば聞こえがいいが、接待する年齢層がかわると馴れ馴れしいのではないかと思われるようなものなど日本だとちょっと抵抗があるかもしれない仕事ぶりなども普通にあります。
私はこのフレンドリーさがとても好きでしたが。
これらを日本でやってしまうとクレームが来ます。
ですがイギリスやオーストラリア、またその他の国の海外の人たちはそのスタイルは当たり前であり、そこで普通に働いています。
態度やサービスって本来いらない事なのです。
何かをお店でお願いしてそれに対しての仕事をしてくれればそれで終わり。
そしてほとんどの国の人たちは仕事に対して、社会に生きるというよりただお金が欲しいから働いているだけといったさっぱりとした態度が見えてきます。
特殊な仕事、例えばパイロットになりたい、映画監督になりたいなどといった仕事は省きます。
また話が変わってきちゃいますからね。
一般企業で働いている方でも、仕事より遊びを充実させること、家族や大切な人と時間を共有することが一番大切と態度に示した働き方をしているので彼らは無駄な残業をすることはありません。
外国人にとって自分たちが生きるために楽しむ財産を得るため方法の一つが仕事なのです。
また働く側も雇っている側もお客も皆態度は対等のように見えました。
お互いそれでいいと思っているし、気にしていません。
とても気楽な関係性でした。
日本人の働き方は奴隷
日本人が働くにあたり自分を使ってくださいと下から申し出るような面接の仕方をします。
働いてからも休憩時間を削り働いたり、休みを返上することもあることでしょう。
先輩がまだ働いているから会社にいて仕事しているふりをしなければ…、また自分の仕事が終わったら他の仕事を探さないとといったようなまるで働きバチのようです。
外国人って任された仕事が終われば帰ってしまうし、仕事で自分に利益がなければ手伝うことを好みません。
そしてそのことをきっぱりと言うし、その発言に対して誰も責めることはしません。
それが当たり前なのです。
終わったんだから帰る、またはまだ業務時間だから帰れない場合は堂々とYouTubeを見ている人もいますし、スマホでゲームをしている人もいます。
ですが客も含めてそのことを責めて問題に取り上げることってないんです。
YouTubeやゲームをしていても仕事が舞い込んでくればしっかりと着手しています。
やることをしっかり終わらせていれば誰も文句を言いません。
しかし日本の場合、仕事は態度で示さなければなりません。
例えば、面倒な客が店側に非のないことを文句を言ってきた場合でも謝りお詫びし、などといったサービスのようなクレーム処理をしなければなりません。
外国で面倒な客が変なクレームを言ってきた際、店側も黙っていません。
普通に喧嘩します。
店側だから、お客だからとか関係なくおかしいと思ったら対等にやり合います。
なんなら、もう二度と来ないでいいから出ていけと話を終わらせます。
それが日本だと、長々と謝りお詫びしてなどの工程をするため時間はかかるし、他の仕事はできないしで何のメリットもないことを繰り返しているのです。
日本人は働いてもお金にならない働き方をしている
アメリカと日本の労働時間を比べると日本人はとても長い時間労働しています。
しかしその利益は働いた時間が長いのにもかかわらず儲けがありません。
これは日本人が周りを気にしたり、会社のために働いている精神を持っているために無駄な仕事をしてしまうからです。
無駄というのは利益につながらないやらなくてもいい仕事。
例えば、いらない書類を作ったり、意味もない企画を考えたり、上記のように謝らなくてもいい問題に頭を下げたりなど。
そういった働いているふりをするためにする見せかけの仕事の所為で労働時間は伸びるがそれは一切お金にはつながっていない結果になっています。
ですが日本人って結果よりも働いている見た目を重視します。
遅くまで残業してえらい、長く働いて頑張っている。
めちゃくちゃ古風ですが、今でもこの精神を重宝するのが日本人です。
これは外国人からしたら無能だからそんなに時間がかかっているのかというマイナスなアピールでしかありません。
自分の業務内容が業務時間に完了しているのにもかかわらず、退社できない日本人。
周りで残業している人が気になり帰ることができない。
日本人の周りを無駄に気遣う精神と、また周りも我々が働いているのに帰るなんて許さないといった双方の無言の気遣いと圧力が生み出した負ルールです。
状況は千差万別で例えを上げきれませんが、多く聞く事例ってこれらだと思われます。
無駄な仕事をなくし、お金が動き生み出されるための働きだけに変われば日本人ってそこまで働く必要はないのです。
日本人は一人で問題を解決することが正しいと思っている
誰かに相談し、アドバイスや考えを乞うことは普通の事です。
一人の考えなんてたかが知れているのです。
ですが人が相談したことに対して、そんなこと自分で考えろと突き放されることがあるのが世間の答え。
また、誰かに相談するのが億劫だったり恥ずかしい、無能と思われるのではなどといった不安や理解されないのではないかと先を考えるあまり、他人に相談せず一人で悩みぬくこととするのも日本人です。
日本人の多くは困難を一人で解決させることに異常なまでの美徳と価値があると思っている。
相談する方もされる方も、このことを踏まえているので水に油な考え方です。
私がイギリス留学を含めいろんな国に行ってまず感じたのは、困ったら団結して仲間を増やし戦う精神があるということ。
日本人特有の何かに困っているときに一人で行動し何とかしようとしたことに外国の友人からは抗議されました。
“一人の言葉なんて力がなさすぎる。私たちは仲間だからあなたが困っているなら自分たちに関係なくても一緒に戦いに行くわ。”
と言ってくれ、文化の違いを身をもって知った瞬間でした。
欧米人の友人たちが言ってくれた言葉です。
現実でもアメリカやヨーロッパはデモ活動が盛んです。
これは個人が思っていることは決して個人的なことではなくみんな思っていて力を合わせて行動しようという現れ。
何か国に対しての不満があれば呼びかけ、その呼びかけに同じ思いを寄せていれば人が集まってくるのです。
しかし日本は個人で思っていても、打ち明けず何かでごまかしたり、一人で行動してしまった場合には変な奴とみられて終わってしまうのです。
恐らくですが日本人の方が個人で思ってる思いって強いと思うのですが、それを誰かと共有し抗議活動といった動きに表さずネットに書き込んで終わってしまう。
また呼びかけに対しても参加までするといった行動力は持っていないのです。
本当に一人で終わらせるしかないのです。
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日本人はデモ活動をもっとするべき
日本人はもっと社会に対してデモ活動を起こしてもいいし、起こせるくらいの想いを一人一人が持っています。
それを団結してやろうといった文化がないために、生きにくいシステムに従っていくしかなくなってしまっているのです。
原発や、町ぐるみの活動などでは団結して署名をしたりデモのような行動をしているのは見られますが、社会の働き方に対しては皆表ざたでは沈黙です。
2018年12月にあったハンガリーでのデモ。
1年の時間外労働つまり残業時間の上限を250時間から400時間に切り上げることに対して都内だけで5000人を超えるデモ活動が行われました。
これはその前にフランス・パリで起こったデモ活動の影響もあったように思います。
そのフランスでのデモはハンガリーの少し前の2018年の11月から長期にわたり行われていました。
パリのシャンゼリゼ通りに何かを燃やしていたすさまじい光景が日本のニュースでも報道されたのは未だに印象深い。
パリでのデモの原因はフランス政府が燃料税の値上げを決めたこと。
それに民間は不満感じSNSなどで呼びかけ広がったのです。
11月24日にはその数約8000人、シャンゼリゼ通りだけでも5000人が参加した大規模なデモと報じられ新年あけてからもいまだに活動は続いているとのことです。
直近の海外でのデモ活動を題にあげましたが、特にハンガリーでのデモ内容を日本に置き換えると、日本だったら何回デモをしているんだという内容です。
なぜこんなにもかたくなに黙って、辛いのを耐えているのか。
特殊な文化だと表現するほかないようにも思います。
何にも訴えずただ黙っているのが日本の社会のためとは思えない。
またハンガリーがパリに触発されたように他の国がしているから我々もしてやろうといった、周りの国の動きを読み取ってその流れで行動を起こすのはとても大きな発信力になると思いました。
国のメディアが取り上げます。
他の国に意味のある行動を印象付けるのは大事なアピールでもあるように思います。
日本にはもっと周り(他の国の行動)を見て、政治家の決めたことに従うのではなく、自ら国を変えてもいいと思って欲しい。
過労死するくらいなら退職すればいいのに何故しないのか
日本の過労死・自殺を取り上げたテーマを外国人にどう思うかインタビューしていた番組を見ていた時のこと。
そのインタビューされた外国の人たちは“死ぬくらいなら仕事辞めればいいのに。”
と答えていました。
そう、命を落とすくらいなら辞めてしまったらいい。
そんなことは日本人でもわかっています。
死ぬまで仕事に身をささげるなんて狂っています。
ですが過労で亡くなってしまう人はその思考がありません。
自分を追い込むことしかできず、視野が狭くなり、働きすぎて体がおかしくなっていることに気付かず死んでしまうこともあります。
身も心も削れてしまい、壊れた状態になると全くと言っていいほど他の考えができなくなるのです。
過労自殺される人は、おそらくですが死ぬ意外にこの苦から逃れる方法がないと思い込んでしまい、ほかの決断ができなくなってしまった結果なのではと思います。
何度も言いますが、
追い込まれすぎると自分では気づくことはできません。
現に私も似たような考えになったことがあります。
何を考えても死ししか方法がないという思考回路にはまってしまい、ここまで来てしまうと自身で立ち直るのは不可能です。
異変に気付いた友人に助けられました。
周りの助けが必要なのです。
しかし、これらのほとんどって助けることが困難でもあるように思います。
日本の社会でも働き方に対する考え方や、また日本人がよくやりがちなのが他人と比較しそれが自分とかけ離れていたら、自分が異常だと思う考え方。
異常なんかではなく、たまたまその相手との考えや意見などの方向性が違っているという可能性を考えないのです。
過労死・自殺は助けることができない日本の世の中
日本人は誰かが辛いと訴えるとすると、ほかにも大変な人がいる、自分はもっとつらい経験をしたと比較し、その助けを訴えている人にむちを打ち、まだまだいけると発破をかけます。
助けを求めているのに、こんなことをされてはもう洗脳にも似たような感じがします。
人それぞれ状況や状態が違いますが、本来ならそれは自分でしか判断ができない領分です。
誰もあなたの心の中を覗けません。
しかし自分でも自分の心の状態の判断ができず追い込まれてしまい、相手に相談してしまう。
本人がいくら周りに訴えようと、相手からするとその訴えはただの印象でしか残らず、理解されることはないのです。
言葉はあくまで自分を表現する道具でしかなく、それは的確に相手に伝わらないことがほとんど。
だから、相手はまだ頑張れるでしょう。
もう少し耐えようといった言葉を投げかけます。
相談してこの返事が来ると、私はまだ頑張らなければならないのか。
みんな辛い思いをして乗り越えてきたのに自分は弱い人間だなどと錯覚してしまいます。
その人のメンタル面の状況にもよりますが、本当につらいときにこの回答をされると、受けた側は逃げ場を失います。
頑張り尽くす文化は美しく日本らしいのですが、亡くなられる人が後を絶たない社会現象をみると今では過剰な気もします。
本人でも自分の事がわからなくなるほど追い込まれて、助けを求めた結果こうなってしまうと負の連鎖です。
自分も含め、誰もその苦しみから解かれる方法を提示してくれないのです。
ただ一つ言えるのは人と辛さを比較するのは滑稽なことである。
一人一人受け止められる容量や処理能力も感受性も違う。
同じ仕事をしていてもできる人とできない人がいるように、自分に合わないフィールドで戦っても勝つなんてことはできないのです。
辛いと悲鳴を上げているのに誰かが言った話の中で自分の辛さと比べる必要なんてないのです。
仕事が辛いときは相談すると逆効果な場合
仕事が辛い、休みがない、ご飯が食べれない。
本当に追い込まれて誰かに頼りたいと思います。
ですが同じ職場の人に相談するのは絶対にやめましょう。
仕事仲間は仕事内容の負の面の相談に対してはとても辛辣な場合が多いです。
また彼らも今働いているところが彼らにとっての世間です。
他の世間を知らない場合があります。
つまり、この世界(会社)がおかしいよと訴えてもあなたがおかしいと返ってくるだけなのです。
もし誰かに吐き出したい場合は、仕事仲間には相談は禁物だと思ったのが私の持論です。
また、全く仕事のジャンルが違う人や職場の待遇や環境に恵まれているひと、自分と同じ年世代(特に20代)の人に相談するのもあまりいい回答を得られません。
仕事の内容が畑違いすぎると、相手はイメージすることも困難でありいいアドバイスができない。
また環境がいい会社で働いている人間は、そもそもブラック業界での待遇を味わったことがないので、これもまた頑張れよといった回答が来る。
若い世代にとっては悩みの多い時期、他人の苦労を思うほど余裕がありません。
もし相談したいと思ったら家族や、専門医、もしくはあなたが信頼でき、あなたの思っていることを静かに受け止めてくれるような人に打ち明けてください。
肯定的な言葉、あなたの辛さを否定せず聞いてくれる人に打ち明けるだけでとても気が楽になり判断能力への自信も戻ってきます。
人間は経験して知るものなのです。
1回の人生は1つのルートしかないのにすべての経験をするなんてことはできない。
貴方がおかしいと思ったり、辛いと思っているのは一つの答えなのです。
他人がどう言おうとその人も自分が経験した中でしか答えを持っていないので例え意見が違う場合でも自分がしっくりこなければ拾わなくていいのです。
頑張ってもらいたい想いを込めて叱咤激励してくれる人もいます。
時にはそれはとても温かい行為です。
苦労して成長する様はかっこいいですが、間違えた方向に向く場合でもこの文化を貫いている傾向があります。
自分が陥っている辛さはいったいどちらなのか、これは末期の状態にならないと分からないようにも思います。
私の場合は上記に書いたような人に相談をしてしまったばかりに、より強く自分を責め追い詰めてしまう結果になりました。
誰も理解はしてくれない、ただ応援の言葉をくれるだけ。
自分はまだ頑張りが足りなくて甘えてしまっているんだと。
私がおかしいのではないかとも考え始めました。
応援され頑張れるなら頑張ればいい、しかしそれが無理をしているなら辞めた方がいいです。
頑張ると無理をするは別物です。
結果的には私は専門医に頼りましたが、医者嫌いなため通院はできませんでした。
また心療系の病院で受診する場合は相性の合う医者が一番です。
私は自分に合う医者を探すことをするよりその場所(会社)を離れることを決めました。
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若者の可能性を奪う社会構成
若いって何歳までなのかよくわかりませんが、日本人は本当に若者の可能性をつぶしに来たり、根を刈ろうとする人が多いです。
また世間でも一定の年齢になると可能性が無くなるといった、考えのため日本人の行動を妨げているのも事実だと思います。
ちなみにオーストラリアでは履歴書に顔写真も年齢の記述も不要です。
またその可能性に対しての方向性を狭めている世代の人も無意識にしていると思うんです。
今ある大企業はその年配世代が作り上げてきたもの。
やってきたことが形になり自信となっています。
そんな強い実績のある過去を持っているためと世代による景気、経験、資産など、全てにおいて違います。
同世代と同じように接されては、今の若者にとってはその重みが大きいのです。
完成されたものを維持させよりすごいものを期待される現代より、何もなく一からみんなで頑張って作って行こうという昔。
我々は何かを作るまでの苦労や、それにかける時間は圧倒的になく、そして完成された社会を維持しなければならないというプレッシャーから楽しみがないのです。
最近の若い者はすぐダメになる。
きつい言葉いうと辞めてしまう。
なんて言葉もよく聞きました。
少なくとも私の周りにはそんな人はいませんでしたので何とも言えませんが、そんな人どの世代にもいるんじゃないかと思います。
むしろ私の周りは、上の世代に気を使い、自分を押し殺してせっせと働いている純真な子が多かったです。
世間が言う若者は根性がないといわれることを気にして、自分たちは違うから証明しようと頑張っている子もいました。
しかし、今は少子化。
超がつく少子化です。
私の世代も少子化に当たる世代です。
そしてこのようなことを言う世代は人口が多い世代。
悪い例の若者が出てくるとすぐに取り上げ、ヤジを投げてきても割合的が少ない私たちの弁護の声は何も響きません。
どの世代にも根性がない人はいるし、尊敬するほど頑張る人もいます。
今ある便利なメディアやツールを使った若者いびりは、私たちの考えと存在を卑屈にもさせています。
それと同時に若者も世に言えない鬱憤を晴らせることもできるので、50:50な感じではありますね。
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次に何をするかを決断しなければ前に進めないルール
精神的に参ってしまい、仕事を辞めたい。
スキルアップ・違う職種への挑戦といった前向きな転職ではなく、その職場が自分に合わなくて辞めたい場合の話。
辞めてしまって次に仕事はできるのか、見つかるのか。
また、ただしばらく休みたいから休職したい人。
いろんな理由で動きを止めたい人っていますが、大体が次が決ってない事への不安から苦しい現状から抜け出せないのです。
そして周りからも、会社を辞めるとなると次何するの?と自分でも何度となく考えた質問をされ余計に現実的に考えて不安になってしまいます。
次を決めなければ何かを辞めてはいけないなんて決まりは無いんです。
ただ自分が次に行く場所が決っていると安心するということは大きなメリットです。
しかしこの次が決ってないからその場所に居ろというのは違うと思います。
ほとんどの人はこの次が決っていない不安からまだ辞めてはいけないという思考にならざるを得ないんです。
この次何しようって先を考えること。
本来はとても前向きな言葉であるはずなのに、こんなにも追い詰める受け取り方にもなってしまうんです。
また、休憩したくても周りから次を心配される。
過労死してしまったり、うつ病になってしまう人からすると真っ黒な針地獄のような暗い箱に閉じ込められたようなものです。
まとめ
逃げ場が作れず、また可能性や未来に対して不安を煽るような仕組みの考え方。
他人と比較し追い込むような応援。
何が問題で、引き金になり壊れてしまうのか自分でもわからない事って多くあります。
他人がそれに加入して本当に助けてくれなければ気づけないし抜け出せない、ですがそれもむなしく空回りする世の中。
この悲しい事件がなくなるのは難しいように思います。
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